誰かに、または何かに追いかけられる夢を見るのは、現実世界で精神的・物理的に追い詰められている時に見ることが多いらしい。
このところめっきり夢を見なくなった。
いや、もしかしたら夢は見ているんだけど、朝目覚めた時に覚えていないだけかもしれない。
いつ頃からだろう? 夢を見ない或いは覚えていないのは。もう随分と経つ気がする。
過去に見た夢が発端となって出来た曲が数曲あるけれど、それらは夢の内容からの全体的なイメージから出来たものと、その夢を見たときにそこで流れていたような気のする音楽をそのまま譜面にしたもの。
「Bulging Eyes」は後者だ。
そして女性vocalイメージで作った曲でもある。
私が見たその夢のエンディング近くで流れていた音楽のメロディはvocalだったかどうかは朧げだけれど、ただベースギターのラインだけははっきりとしている。
おそらく作曲した時、女性vocalが意識下にあり、そのためインストで過去数回演奏したことがあるけれど、どうもピンとこない。
曲を作る際、女性vocalイメージで出来た曲は他に「In her case」があるけれど、これは何故かインストでもいけるのが不思議だ。メロディーはホーンでもピアノでもギターでもいける。
なのでこの曲を演奏する際には「彼女?とかwife?とか、あなたの大切な人のことを思って演奏して下さい。」などと言っている。
本当に彼女を想って演奏していただくかはご本人にお任せするとして笑
「In her case」それはキャリアも豊富なカッコいい女性が、素敵なヒールを履いて闊歩しているイメージだろうか。
この曲を作る際、特にはっきりと歌声が聴こえていた。
Herbie Hancockのアルバム「River」の2曲目に登場するTina Turnerと、映画
「Fabulous Baker Boys」のスージー役のMichelle Ffeiffer、この全く違うお二人の歌声が、作曲中に頭の中で流れていた。
声質の好みが激しいのは自分でも分かっているけれど、作曲する際、知人じゃなくてもイメージするのは勝手だもの笑
ちょっと話が逸れるけれど、
H. Hancockというと、私の知る限りでは、「possibilities」「River」「Imagine Project」といったvocalistへのオマージュ的アルバムがある。まぁカッコいいvocalistが勢ぞろいしている。私はこれらが大好きで一時期ずーっと聴いていた。今でも時々かけている。
「possibilities」にはStevie Wonderも登場しているけど、歌ではなくハーモニカだけで一曲参加という何とも贅沢なアルバム。Stingなどシビれるsingerが11人?だったか登場する。
アルバム「River」はJoni Mitchellへのオマージュ作品だけれど、アルバムタイトルにもなっている肝心の「River」はJoni Mitchellは歌っていないし、何と「Both Sides Now」は、聴いていてBoth Sides Nowとは全く分からないアレンジでインストで演ってて、彼女自身はThe Tea Leaf Prophecy一曲だけ歌っている。
しゃれた起用と企画の天才!センスも抜群!
なんて、そんな分かりきったことを言いたいのではなく、私の心のどこかにボーカルへの憧れがあることは否めない。
私は超音痴だから元々singerにはなれないのは分かっていたからこその憧れなのだろう。
vocalistと仕事することも(お一人を除いて)ほとんどなかったから、ボーカルは嫌いなんですか?と聞かれたことすらあった。
話を「Bulging Eyes」に戻さなきゃ。
そうそうこの曲はインストでやってもピンとこない。
そこで、7/26にエアジンで「vocalist石川真奈美、小林楽曲を歌う夜」を企画させていただき、「Bulging Eyes」と「In her case」を含めた15曲をピックアップした。
この2曲以外は普段のインスト用に作ったもの。
譜面もお送りしもちろんリハーサルもやるし、普段多くのUNITでvocalizeでも活動されバッハまでやっちゃう真奈美さんだから、閃きと同時に何の躊躇もなくお願いしたのですが、
きっとそこにはやはりボーカルへの憧れというか、私のオリジナル曲をvocalistと演奏できるなんて、今私の目の前ではピンク色の花びらがたーくさん美しく舞い散っているようなものなのだ。
こんな経験が出来る人はそう多くはないだろう。真奈美さんに感謝。
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あれはいつ頃だったか随分前の話しだ。
気付くと私は雨上がりの森の中を歩いていた。大きな葉っぱは汚れを洗い流されてきれいに見えた。葉っぱの上にチョンとのっかった雨粒をみて、葉っぱが水をはじく力に少し元気をもらったような気がした。
そのまま前に進んでいくと、後方からザクッ、ザクッと音がした。
後ろを振り返る。見たことのない、いや見たことはある、多分子供の頃だ、でもばかでかい!
よ~く見ると超巨大なコオロギだ!巨大コオロギがこっちに向かって走ってくる。この時巨大コオロギの足音はザクッ、ザクッ、なんだと知った。
逃げる!逃げる!逃げる!
すると目の先には崖っぷちが、、、もうダメだ、と思う間もなく
ブレーキもかけられず、勢いで見事に崖っぷちから落ちていった。
ここまでは全てスローモーションだ。そしてその崖から落ちていく途中で、これは夢なのではないかとうっすらと気づく。
そう思った時点で、ここは私の得意技の出番だと確信する。
夢を巻き戻しすることができる技は、いつの頃からか自然に身に付いたもので、特にハッピーエンドにしたいときに役立つ。
スーーッと崖の上まで自分の身を戻すと、そこには当たり前だけど巨大コオロギが腰を据えて待っていた。
その巨大コオロギの突き出たガラスのような眼には、案外平然とした私がはっきり映っているのを見ることになるのだけれど、
ここで既に音楽は流れ、まるで角川映画のようだったのを今でもはっきりと覚えている。
(角川映画、昭和だなぁ。)
すると巨大コオロギは低いリバーブがかかったような声で言葉を発した。
「自分の進むべき道をしっかり迷わず進みなさい。」的なことだ。
思えば、今の私の人生訓「悠々として急げ」に近いものがあるかな、どうだろ笑
私はその時その言葉に心動かされたかどうかは全く分からないけれど、そこでカメラがグーッと引いていき、遠くに崖っぷちにポツンと佇む巨大コオロギと私の絵が映ってTHE ENDだったというまるで三流映画だ。
いや、三流映画ってどんな映画を指すのか知らないけれど、私の何の知識もないただの勘だ笑
角川映画にも失礼だな。
夢には二つのタイプがあって、自分の姿が見えている場合と、そうでない場合があるそう。
私はいつも前者だった。
瞼のない大きな突き出た薄いガラスのようにも見えるBulging Eyes。
その眼は確かに私に何かを訴えかけていた。その瞬間〜エンディングロールで流れていた音楽を、おそらくこんな感じだったと思い描きながら譜面にしタイトルを「Bulging Eyes」とした。(30年以上前の曲だけれど、片手で数えられるくらいしか演奏していない。)
その巨大コオロギの前世はもしかしたら人間だったのではないかと感じた。
誰かに追いかけられる夢を見るのは、現実世界で精神的・物理的に追い詰められている時に見ることが多いという。
では、子供の頃、超巨大5円玉の真ん中の穴に、まるで強烈パワーの掃除機か⁈ってくらいに私が吸い込まれていく夢を見たのは、いったいどんなお告げだったんだろう。
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