top of page
執筆者の写真yoko kobayashi

あれこれ呟いてみる。

私は何故、音楽(LIVE)をやっているんだろう。



LIVE出演し始めたころは、ジャズ(と言われている中の約半分位)が好きだったかなぁ、

音楽の先輩方々に誘っていただき、びくびくしながらも頑張ってた。

もちろんその頃は生活も成り立たないので、当時スタジオミュージシャンがめちゃ忙しい時期で、スタジオ周辺にある混雑しっぱなしの喫茶店のバイトや、ラッキーなことに譜面が書けるので今は無き写譜家のバイト、諸々テレビCMの録音の仕事などたくさんやってたっけ。



先日、私の手書きの譜面を見て、electric bassist高橋将くんに、「これってどうやって書いてるんですか?」って聞かれて、写譜ペンでって答え、そっかぁ、現代の若者は写譜家という職業があったことも写譜ペンも知らないよなって、一人で感慨深くなったのですが笑

昔取った杵柄ってやつです。

でも写譜ぺんでって答えたと同時に、彼の手にあるスマホ画面には既に写譜ぺんの写真が!

こんなことに感激しているおばちゃまです笑

その写真は簡易的な写譜ペンでしたが、当時は万年筆のような立派なものだったんです。

最近は、日本もどうにか時間だけは流れているという感動に出会うことが多い。



話が逸れました、話を戻すと、

今思えば、面白くもあり滑稽なこともあったなぁって思います。

その頃はステージ上でいろんなことが起こっていました。

私の少し下の年齢から、同世代、先輩方々は皆経験していることだと思います。

皆と全く違うのは、私が女性だということだったでしょうか。


ある日会場に行くと、「え?!女のピアノ?!」って言われることも少なくはなかったかなぁ。そんなこと今言ったら訴えられてますよね笑

私が飛び込んだ当時のジャズの世界ってそんな感じ。



自分の不甲斐なさ、悔しさで涙をちょっとでも出そうものなら「ほらね、だから女のピアノは面倒なんだよ。」とくる。

この時ばかりは「はは~ん、この人は奥さんに逃げられたか彼女に振られたばっかなんだろな」と思うことにした。



こんなことが続き、今思えばおかしなことなんだけど、何を思ったか、私は15年以上もの間スカートを一度もはいていない時期があるんです笑

そうせざるを得なかったんでしょうね。(そこに至る経緯は長くなるので省略)



髪もショートで、ある日山手線ドア付近に立ち、両手をパンツのポケットに突っ込み、ぼーっと周りの景色を眺めてました。

すると、作業ズボンをはいた東北訛りのおじさんが「兄ちゃん、今何時?」と聞いてきた。

もちろん携帯電話もない頃で、腕時計を見て「~時です。」と答える。

するとその男性は「あ、兄ちゃんじゃなくて姉ちゃんかぁ~」

声は女性だったのでしょう、そりゃそうだ。



先日、Facebookの投稿にコメントを下さった方がいて、「性を感じさせないかのようにしている小林洋子はあまり好きではありません。もっと生々しく剝き出しの小林洋子が自然だと思います。」とありました。



今でもそんな風に見えているのかと驚きましたが、もしかしてあの頃の名残、いまだに抜け切れていないのか?とも思いました。「ご指摘ありがとうございます。」と返信しましたが、極々普通にしているつもりなんですけどね。

でもそうは見えない人もいるってことですね。





視点は違いますが、

クラシック音楽界でも、あのホロヴィッツ氏の「東洋人と女どもにはクラシック音楽は向かない」という言動に、東洋人でもあり女性でもあるpianist中村紘子さんが激怒し、「私はホロヴィッツ氏の音楽は認めるけれど、あの言葉は絶対に認めない!」


今の時代じゃ考えられない発言ですよね。

政治家の中には今でもこんな発言する人いそうですけど。




男性・女性関係なく皆経験していることは、

ある日の演奏の時、一曲目が終わり、2曲目に予定されていた曲とは違って、リーダー格の超ベテランベーシストが「オレオやるぞ」といっていきなり♩=300いや310位のカウント出してベース弾き出した。drummerもそれに合わせてシンバルレガート。



私はといったら、アドリブではどうにか8分音符が動かせても、テーマは私には難しすぎて正確に弾くことは出来ず、テーマ無しのただのめちゃ早い循環コードの曲になり、凹む。

テーマを皆でユニゾンだったらまだどうにかごまかしながらやれたと思うのですが.......。

結局その日は、めちゃ怒られて終わり。



ある日の故・超ベテランドラマーとの共演の日、私はピアノの椅子に座り、視線の先のdrummerと目を合わせるのが怖くて、譜面台を立てて顔が見えないようにした。

するとそのベテランドラマーは「おい!小林!なんでお前譜面台なんか立ててんだ?!暗いぞ!」



私「それは演奏中に目が合うのを避けたいからに決まってるじゃないですか!」って心で叫びながら、シュンとなって譜面台を倒す。案の定、演奏中に「なんでそこでblue noteなんだよ?!」

今もその意味は分かりません。でもこの大先輩drummer御方からは、何となく愛情みたいなものが感じられたっけな。だからそんなに嫌な感情はないんです。



ある日のまた別の超ベテランドラマーとの共演の日、この日はベーシストのソロ中の靴が床を打つカウント音が非常に気になったらしく、突然演奏中に席を外し、どうしたんだろうと目で追っていると、どこからかダスターを持ってきて、そーっとベーシストの靴と床の間に差し入れたんです。餅つきの時の合いの手みたいってその時めちゃウケたけど、ウケてる場合じゃあーりませんよ、今度はピアノにお怒りが回ってきた。



「何でそんなとこでバッキング入れるんだ!もう弾くな!」って言われたから、弾くのを止めると、今度は「何で止めるんだ!」



ある日またまた別の超ベテランドラマーと共演の日、「A child is born」を弾いた。

すると「はい質問!今男の子が生まれましたか?女の子が生まれましたか?」と聞かれる。

「そこまで考えて弾いていませんでした。」って答えたら「そんなのは問題外だな!」と。

そうなんだぁ。歌詞の無いインスト演奏の時も?

未だにこのことについては結論が出ていません。



こんなことは当時は皆経験してることなのですが、このようなことが良いことだったのか悪いことだったのか私には分かりません。

当時は私は駆け出しでLIVE経験も少ないわけだから、いろんな意味で鍛えられたことは良かったのかもしれないけれど、訳がわからない言葉もたくさん残っています笑

「え?!そうかなぁ?それは違うでしょ。」みたいな。

何だかちょっと変人で、ちょっと子供みたいな純粋な人達なのかなぁって。

音楽・ジャズが大好きでチャーミングな大先輩方々でした。


そして皆その時代を生きた偉大な音楽家であることは間違いありません。




ですが、そもそも何のために音楽(LIVE)をやっているのか。



それは聴きに来て下さった方々に、癒しだったり楽しさだったり、あ~今日来て良かったって思ってもらえたり、元気もらえて明日も仕事がんばるとか、

何でもいい、何かを感じて幸せになっていただきたくて演っているんだと思うんです。



あんなの見せつけられたオーディエンスの方々は、いったいどんな気持ちだったんだろう。

(ダスター事件はおもろいかもしれないけど)

当時そんな景色は当たり前のことだったので、そんなもんだと感じていたのかなぁ?

それとも出演者同士のそんな様子も含めて楽しんでたとか?



当時、私が人の演奏を聴きに行ったりすると、たまたまなのかバンマスが怖くて萎縮しきっているメンバーの面々がそこにいて、そんな状態を何度か見たことがあります。可哀そうな気持ちになりすぐ帰ったこともあります。

どうしてバンマスが観客の前でメンバーを萎縮させるようなことしなきゃならないんだろう。


でもdrummerで言えば、故・古澤良治郎さんや故・ポンタさん、小山彰太さんは、私のような若輩者にもとても親切に接してくれた。彼らの思いはいつもオーディエンスに向けられていた、向けられている。と私は思っている。




このところ、私もオーディエンスとして、素晴らしい音楽を聴かせていただいている。

そのどれもが、とても幸せになって帰れるのだ。

感動する部分はそれぞれ違う、訳が分からず涙腺崩壊もあれば、おっかしくて感動泣き笑いもあれば、ワクワク、ドキドキ、にんまり、鳥肌もの、スリルとサスペンス?

その素晴らしさは様々です。

お店でBGMでかかっている「ジャズ」を耳にし、何となくこんなのがジャズかなと想像する方々は、これらのやり取りがその場で起きていること、いわゆる即興演奏だとご存じなのだろうか?(おっと、この手の話はまたまた長くなるので再び省略)



先日も、百合丘WADACHIに行ってきた。

2023.01.28

石井彰pf 須川崇志cb 秋山一将gt


もう一曲目の秋山さんのオリジナル曲「ジェフ」?から、お三方の一音一音に心打たれ涙腺崩壊。セカンド2曲に、前日共演させていただいたばかりのviolinist石井智大さんもシットイン。

アンコールの石井彰さんソロまで、夢のような時間だったように思う。

もう言葉が見つかりません。


別の言葉を使う部分があるとすると、秋山さんのブルース、音数少なく、なんとカッコいいこと。だめだ!表現できない、カッコいい!どころではない。



オーディエンスをこれほどまでに幸せな気持ちにさせてくれる。

最高の時を過ごさせていただきました。


..............................................................................

話がまとまらずダラダラと綴ってしまいました。

まずは今を楽しく過ごせていることに感謝。


コロナ禍から3年が経とうとしています。

コロナがもしなかったとしても、現在の、musician、音場、ジャズLIVEファンの構図はもうその前から現れていたことだと思います。


思うことはたくさんありますが、とにかく戦争は終わってほしい。

日本でもイルカやクジラが浅瀬で動けなくなっていたりするのも、海の底に何か原因があるのでは?とイルカやクジラに問いたい。







閲覧数:89回0件のコメント

最新記事

すべて表示

生きる

旅の途中

コメント


bottom of page