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執筆者の写真yoko kobayashi

オリジナル曲とそうではない曲

更新日:4月24日

いつ頃からか自分で曲を作り始め、もう30年以上の昔から自己のUNITでは全てオリジナル曲を演奏している。

曲もどれだけあるのか数えたこともないけれど、そんなことをやり始めたのには明確な理由があったように思う。

「必要にかられて」

それしか思い当たらない。


端的に言うと、ジャズのスタンダード曲を弾く上で何とはなしに違和感のようなものを覚えていたのだけれど、

その違和感は、最初の内は私が単にその曲を好きになれないなど好みの問題だと思っていた。


食べ物にしても子供の頃は好き嫌いが激しく、クラシック音楽(ピアノ曲)に関しては、弾いているとまるで説教されているような気分になるような曲は嫌いで、宮廷音楽の栄えた時代に、礼儀とされていたカツラを被ったヨーロッパの貴族が銀食器を前に、大きく口を開けて笑いながら食事をしている光景が連想されるような音楽は嫌いだった。

(あくまでも幼少期の私の思いであり勝手な連想故、お許し下さい。他に大好きな曲はもちろんたくさんあります。)


バッハやモーツァルトは貴族に依頼されて仕事をし、雇われ者は裏口から出入りをしていたという話だったり、その時代の話や映画に出てくる貴族は悪い人達だと子供の私には映っており、どうも当時の「貴族」に好印象を持っていなかったと思える。


ベートーヴェンが、音楽家は堂々と表門から出入りすべきとし、バッハやモーツァルトのようなカツラも被らず、王族や貴族のための音楽ではなく市民のための音楽を広め、HALLなどでの演奏を実現させ、子供の私は、そんなベートーヴェンをヒーロー扱いしていた笑

(因みに暗譜で演奏するようになったのは、リストの仕業(笑)と聞いている。超イケメンで会場の女性客はキャーとか言って失神する人も続出したんだとか。いつの時代もイケメンっているんだな。)


いけない、いつものように話がまた逸れてしまった。


肝心の、興味を持ったジャズに関しては、今思えば、曲(テーマ)というより、その中で起こっていることに興味を持っていたに過ぎない。

それにジャズのスタンダード曲と言われるものには歌詞がついている。

これが私にとっての一番のネックだった。内容を知ると弾けなくなる曲も少なくはない。

(結構ドロドロとした内容のものもあったり、余談だがオペラはもっと辛辣で愛人が登場したりする笑)


もちろんジャズスタンダードと言われるものの中にも好きな曲はたくさんあるけど、演奏すると、知らない人のお宅にお邪魔してご飯食べてる、みたいな落ち着かない気持ち。



だったら好きな仲間と一緒に楽しく食事出来た方が良いに決まっている。

本当に弾きたいと思う曲を自分で作った方が手っ取り早い、と。

そしてそれをジャズミュージシャンがやっているようにインタープレイし展開していく、、、

オリジナルをずっとやってきたもっとも単純で簡単な話だ。



ところがこのところ、不思議と自己のオリジナル曲だとか他ミュージシャンの曲とかジャズのスタンダード曲とか、あまり垣根が無くなってきていることにボンヤリと気づき始めている。

もうビックリだ。

.......

最近のいろんなことが起因していると思う。

まずはTone Momentum津上研太さんとのDUO。

結成当初saxとpianoのDUOで研太氏の曲やスタンダードをやる難しさに面食らった。

saxophonist津上研太さんと共演したいという思いで始まったDUO、

ところが途中ピアノだけになり、人が作った曲(スタンダードも含む)をピアノソロで演ることになる編成だということに、始動し始めて初めて気付く訳だ笑


何せ相手はオーソドックスからフリーまで、何でもかかってこいの音楽経験も幅広い津上研太氏故に、私の表現力の乏しさを思い知らされる。



しかしながら活動5年目に入るTone Momentum。私も鍛えられました。思考もし努力もしました。鍛えられたのは心構え、気持ちの持っていき方みたいなものが大きいかと思う。

ライブ時の選曲は研太氏の役割で、研太氏のオリジナルで鍛えられたのか何なのか、スタンダードも前ほどの違和感も知らず知らずのうちに減少していた。しかしまだまだ面白くできる余地があると思っている。


秋にはrecordingを予定していて、半年も後のことなのに心は大忙しです。


.......

そしてguitarist中牟礼貞則さんや秋山一将さんと共演させていただくことで、スタンダード曲が不思議と身近なものになったのだと思う。


秋山さんは歌も歌われて、歌詞まで関係してくるけれど、全然違和感なく自然に曲に入っていくことが出来て、そんな自分に驚く。


秋山さんの音楽は人の心を打ち、演奏中私も心打たれっぱなしで、恐らくスタンダードに違和感を感じる暇なんかなかったんだと思う。

そしていつの間にか秋山さんの音楽に引き込まれていた、ような感覚だ。

秋山さんの音楽が、私の中の「スタンダード忌避」という病を治してくれたんだと思う。

注射でも打たれたのかな笑


映画「For The Boys」ラストシーンでBette MidlerのIn My Lifeを聴いた時の感動にも近いようにも思う。

何でだろ。

今のところ四季が移り変わっていくのと同じように行われていlる秋山さんとのDUO、次回は夏だ。

このDUOでは、秋山さんのオリジナル曲、他ミュージシャンの曲、スタンダード曲だけれど、秋山さんが奏するあるいは歌うスタンダード曲に親近感すら覚える一大事。


こんな新しい境地に心は大忙しだ。


.......

そして、そんな私は、来月5/10 エアジンなんでも音楽祭で、何とオリジナル曲を封印します。一曲も弾きません。

何故こんな初の試みをやる気持ちになったのか定かではないけれど、ごく自然に何の躊躇もなく決めていた。


では何を演るのか?

スタンダード曲、といっても私の中でのスタンダード曲なので、ジャズもあればロック、ポップス等色々で、要するにオリジナル以外のMy Favorite Songsというもの。


この日の共演者が、ジャズに限らず多くの曲の歌詞も覚えている歌もの大好きなelectric bassist高橋将氏ということも大きい。

electric bassistなのにビバップ研究会をやっていて只者ではない、のは間違いない。そのセンスと才能は計り知れない。


ただいま選曲中だけれど、そんな作業も楽しくて仕方がない。


こんな人生初の試みに、心は大忙しです。


.......

そしてもう一つ、4月頭にvocalist石川真奈美さんとエアジンでjazz nightという機会をいただき、真奈美さんはジャズスタンダード曲をはじめ、Charlie ParkerやBill Evansのようなジャズミュージシャンの曲と私のオリジナル2曲をピックアップ。

それがとても楽しかった。

もちろん私はvocalの伴奏という意識もないけれど、それは共演者が石川真奈美さんだからだろう。


Tone Momentumと同じく途中一人になる訳だけれど、その感覚が全然ない。

ピアノソロの時もDUOだと感じていた。恐るべしvocalist石川真奈美さん。

さまざまUNITでの音楽経験が垣間見れるようだった。


私の心と脳の奥底に眠っていたものが発掘されていく。

幼少期、海のものが苦手で、ましてや光ものや生物はとんでもないって私が、大人になってお寿司屋さんでウニとアジを食し、「えーーー⁈こんなにウニとアジって美味しいのーー⁈」ってぶっ飛んだのと似ている笑


それで私は閃いた。

今度は逆に全曲私のオリジナルで真奈美さんとライブやりたい、と。

それが初夏に実現することになる。


私のオリジナルの中でも、メロディがロングトーンで出来ていて、saxphonist被害者の会会長と副会長に訴えらた数曲も含むことになりそうだ笑

これまた人生初の試みに、心は大忙し。


.......

自分にとってのベストなライブペースを考慮し、本数を減らして臨んでいる2024年だけれど、何故か昨年の倍は忙しくなっている。

ずーっとワクワクしたりドキドキしたりで、心が大忙しなのだ。

何故かやるべきことも増え、一日が短すぎて困る。


TEAM TUCKSとTHE DREIに於いては全オリジナル曲で臨むことに変わりない。


明日は何が起こるか分からない世の中、今私が音楽のことであれこれ思い悩み、楽しむことができ、素晴らしいミュージシャンと共に音を奏でることができ、私の我儘音楽に場所を提供して下さるライブハウスが存在し、聴きに来て下さる方々がいること、


そのような環境にある今に感謝しかない。


















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