私にとってのスタンダード曲を収めたアルバムを作りたいと思うのは今でも変わりない。
ずっと以前は、自分で始めたプロジェクト以外は、もちろんスタンダード曲を
演奏することも多々あった。というより演奏せざるを得なかった、ということもある。
その頃は、歌詞を調べることさえやめていた。
何故なら、歌詞内容が分かって、その内容が私にはあまりにも遠い内容だったり、理解できない内容だと、とたんに弾けなくなるのだ。
これは本当に困った。
特に問題なのはボーカリストとの共演の時だ。幸か不幸か、瞬時に知らない歌詞を全て正しく聴きとることは出来なかったし、知っている歌詞の曲で私がその内容を理解できない曲の時は、肉声のメロディーとニュアンスだけを捉えるようにしていた。
肉声から感じられる「あるもの」だけを捉えるようにしていた。
これではダメだと思いながらずっと悩んでいたことでもある。
極端な話、「着てはもらえぬセーターを、寒さこらえて編んでます。」(古!)
さすがに今こんな人はいないと思うけど、
「お酒はぬるめの燗がいい、肴はあぶったイカでいい.......」などの歌詞(これは男前過ぎて
ある意味カッコ良すぎるか?)が付いて作られているような曲は、たとえ歌詞無しでも私には弾けない。
あまりにも遠い遠い、良く分からない感情だったりが綴られている。
演歌は、「北」を唄ったもの、厳しい冬を乗り切る人々や情景を連想させるものが多い。
例が極端でこれは演歌の世界だけれど、ジャズ・スタンダード曲の中にも、
私が理解できない内容の曲は少なくはありません。
歌詞が付いている曲で素敵な言葉が綴られている曲は、自発的に弾くことができるけれど、それはジャズ以外の曲(例えばロック等)の方が多い。
(ジャズ・ミュージシャンの曲で歌詞が付いていないものは良く演奏していました。)
Gary Peacockのインタビュー記事に「インスト演奏の場合は、必ずしも歌詞は重要ではない」とあるが、キース・ジャレットTRIOは、歌詞を知らない曲は演奏しないという。
何が正解なのか未だに分かりません。
そんなことを長い間悩みながら、自分から進んで弾けるジャズ・スタンダード曲というものがあまりにも少ない私だけれど、要するにジャズのスタンダード曲ってミュージカルの世界を観ているような気持ちになり、どうしても大げさに感じるのは私だけなのだろうか。
でも、おそらく素敵な歌詞の付いたスタンダード曲は、私が知らないだけで、本当はたくさんあるんだろうな。
知ることを避けてきたツケが回ってくる日も近い、これではいけないと士気を鼓舞する私。
メロディーが素敵な曲はたくさんある。
今日一曲、スタンダード曲を練習で弾いてみた。
歌詞を調べてみようと思うのだけれど、
私が覚えているのは、最初のLove is funny, or it's sad~の最初の一節だけ。
この一節だけでも何だか不安。
こんなセリフ、こっそり心の中でだけでも、こんな風には思わないでしょ?ってなるから困ったものだ。
詩の朗読だったらあり得る。
調べた挙句にこれもボツにならないことを祈る。
しわっしわのおばあちゃんになるまでに、アルバムに収める私にとってのスタンダード曲
Best 12を大事に決めていこうと思う。
スタンダード曲に対する思いは、20歳のころから変わっていません。
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