多田誠司さんのこと
- yoko kobayashi
- 2025年12月25日
- 読了時間: 3分
更新日:2025年12月27日
多田さんご自身のFACEBOOKの投稿で目にした、江戸川でベンチに腰掛け、足を組み、アルトサックスを吹くその姿は、37年前と何ひとつ変わっていませんでした。
記憶を辿る。
恐らく広島県福山市にあったライブハウスにて、リハーサルを始める少し前のことだったと思います。
椅子に座り右足を組んで、右斜めに楽器を持ってconfirmationを吹く同じフォルムの彼を、37年前にも見ています。
多田さんを正面から見る位置にいた私は、彼の後ろの上方の窓から陽の光が差していたのを覚えています。ほんとにパーカーが大好きな人でした。
江戸川のベンチに座って吹く姿、何にも変わっていない。
やはり多田誠司さんだって思いました。
37年前、音楽への思いを手放せず、すべてを置いて上京された多田さん、
私が演奏していたライブハウスにふらりと現れたのが、最初の出会いでした。
人の才能を見抜くことだけは得意な私は、一年半〜2年ほど共演させていただいただろうか。
当時スタンダードをとても丁寧に歌い上げるさがゆきさんの歌声が好きで、ゆきさんもvoiceにお迎えし5人編成のovertureというバンドでした。
このことを私からお話しするのは実は初めてなんです。何故だか言っちゃいけないことのように感じていたように思います。
(bassistとdrummerはもうずっと前に音楽を止められ、残念ながらお一人は若くして亡くなられているのでお名前は伏せます)
予想していた通り、多田さんはあっという間に日本を代表する素晴らしいプレイヤーとなり、私は遠くからその背中を見上げる存在になりました。
才能を見抜いた自分が誇らしく、多田さんの活躍がとても嬉しかった。
そしてもう二度と会うことも共演することもないだろうと思っていました。
それから30年以上も経った2020年。
コロナ禍の静まり返った時間の中で、
彼がFacebookのコメント欄に残してくれた何気ない一言をきっかけに、夢のバンドが、静かに動き出しました。
私自身、
子どもの頃から当たり前のように弾いてきたピアノ(音楽)を、突然奪われて知ったのは、「この世に当たり前に在ることなど、何ひとつないんだ。」という現実でしたから、夢であろうがなんだろうが、復帰後からの人生訓「悠々として急げ」は一歩を踏み出す勇気を持てる強い味方でした。
夢のバンドTEAM TUCKSはちょうど5年間の活動でした。
多田さんが江戸川でIf I should lose youを吹く姿を拝見し、37年前のあの時の姿と様子が走馬灯のように駆け巡りました。
姿は変わらずとも、そこから立ち上がる音だけは違っていました。
多田さんのこれまでの人生が、静かに、しかし確かに滲み出ていました。
その音は、翌日入院、二日後に手術を受け、もう一生サックスを吹くことは叶わなくなると知った上で吹かれたものでしたが、そこには、これからの人生を引き受ける覚悟と、どこか吹っ切れたような、澄み切った清々しさがありました。
別れを告げる音ではなく、
「ここまで生きた」という事実を、ただ静かに置いていくような演奏に感じました。
ただ静かに置く…..
その佇まいと音に、感動と懐かしさが、言葉にならないまま胸に込み上げてきました。
多田さんは、演奏家ではなくなっても、
音楽家であり続ける人です。
皆さんご存知のように頭が良くて変化にも強く、思考も柔軟な人。
そして、人生の中で何度も奇跡を起こしてきた人だと、私は今も、そしてこれからも、信じています。
もう泣くのはやめました。
来年の晩秋の頃には、TEAM TUCKSラストライブのアルバムがリリース予定ですが、打ち合わせと称して、可能であればまた皆で集まりたいなって思っています。
写真はMemories of Overture



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