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執筆者の写真yoko kobayashi

天国のアケタさんへ

アケタさんがいなくなって5日が過ぎました。

ちゃんとお別れしたかったのに、知らない間に既に葬儀は終わっていたことを知りました。

吉野さんが知らせてくれたんです。


ちょうど一年前に電話でお話できたのが最後となってしまいましたが、あの時も身体を動かすのすら辛いのに、携帯電話まで必死で歩いて電話を取って下さったのですよね。


アケタさんがいなかったら、私は今だにアルバムの一枚も出せていませんでした。

困りました、これを書いていても涙が止まりません。


取り敢えず、当時作りたいものがはっきり思い描けていたので、初めてのリーダーアルバム(吉野弘志cb 堀越 彰ds)を作ったものの、流通とやらが全く分からず、アケタさんに相談しましたよね。


そうしたら、CDを聴いて下さったアケタさんは「うちから出したいくらいだ!」って。

日頃から変なダジャレが大好きで文筆もされていて、あの笑えるオビ文句は今でも言うことができますよ。


「アケタさんが、小林さんみたいにモダンで美しいピアノを弾いてくれていたら、僕はアケタバンドをやめなくて済んだのに!」と吉野弘志氏に言わしめた!

ぐやじい〜!(天才アケタ)


って。

アケタさん、覚えていますか?


翌年に再販していただいた時には、


限りなく自然でほのぼのとした暖かさ(と、ほのかな悲しみ)がしみわたる素晴らしい初リーダー作!!をものにした洋子さん、心からおめでとう!!(天才アケタ)


暖かいのは、アケタさんでしたよ。


その後、2枚目のアルバムもリリースして下さいました。

その際には、アケタさんのラジオ番組(「天才アケタランド」って言ったっけなぁ)にも出していただき、楽しい話をたくさんしました。

確かデータもCD-Rでいただきました。今はまだそれを探し出して聞いてみる気にはなれません。


アケタの店30周年記念ライブが2か月間に渡り行われた時は、

アケタさん企画のその連日のLIVEにはそれぞれアケタさんらしいタイトルが記され、アケタさんのピックアップメンバーで組まれましたね。


LIVEタイトルが印象的で覚えているものもあるんですよ。アケタさんはきっと忘れていますね。


「フルートの真実」(おそらくフルート奏者が3人位フロントで集められたんだろうなと思います。たぶん松風さんも)


「ロマンスグレイ・ピアノサミット」


「タイセイ・ホウカイ楽団」アケタさん得意の大政奉還をモジったもので、青木タイセイさん他ホーン奏者が何人かいたのでしょう。


小太刀のばらさんと堀真知子さんと私は何とアケタさんの超お気遣いにより「美人女流サミット」と名付けてブックしていただきましたね。

as宮野裕司さんも一緒で、ベースは故・嶋友行さん、ドラマー・亀山賢一さんだったのを覚えています。


もう今はアケタさん手書きのダジャレ満載スケジュールも見ることもできなくなってしまいました。


ずっと毎月出させていただいていたにも関わらず、私が音楽から離れざるを得なくなった時、不義理をして何のご挨拶もせずに逃げるように東京を離れました。


でも復帰した私がアケタの店を訪れた時、温かく迎えていただきお話できたことにも本当に感謝しています。(店長島田さんにも)


そしてコロナ禍の煽りをうけ、厳しい状況だったにも関わらず、吉野さんとのDUOアルバム「Turn Circle」も世に出して下さいました。


そして昨年は、ファーストアルバムがまた世に出ることになり、たくさんメールや電話でやり取りさせていただきましたね。

メールを打つのも大変だったと優に察することができ、なのに荷造りして宅急便で送っていただいたこともありました。


アケタさんにかけていただいた言葉は、なんの自信もなかった当時の私には、宝物のようでした。


ジャズピアニストでもありオカリナ奏者でもあり、オカリナ制作会社の社長でもあり、ライブハウス「アケタの店」、アケタレーベルの運営など、その功績は計り知れません。


そちらの世界には、アケタの店に出演されていたミュージシャンがたくさんいてくれて、アケタさんが寂しくないといいなって思います。


こちらはとっても寂しい晩秋になりました。


心よりご冥福をお祈りいたします。

そして、アケタさん、本当にありがとうございました。



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