今私は、初のジャケットデザインもどきに勤しんでいる。
いや、決して「もどき」などとは言ってられない。
この2週間夏休みを予定し、ぶらっと北の方にでも行ってみようかなんて思っていたけれど、それどころではなくなった。
思ってもみないことが起きたのだ。
ある日、「さてと、やっぱり新潟行きたいなぁー」と考えていたところ、
販売元(Meta Company)から2000年にリリースした私の初リーダーアルバム「LITTLE THINGS」の発注を受けたと、アケタさんから連絡をもらったのだった。
発注って?!何で今頃?あのアルバムは完売してて、たまに中古で見つけた方はラッキーっていうことだったのでは?
そんなこんなで、コロナ前に(株)アケタを辞められていた社員さんにもご足労願い、まだ少し残っていることが今頃判明したとのこと。残ってたってどこに?
アケタさんとこの倉庫に。
再販までしていただいてたくさんあったはずなので、そんなに2~3年で完売したとは考え辛く、どこかに少しは残ってるんじゃないかって思っていたこと自体も忘れていた。
「あのアルバムはもうないんですよね」って多くの方々に問い合わせをいただいていたこともあり、このお知らせをいただいた時にはほんと嬉しかった。
私のアルバム全て聴いて下さっている方も、この「LITTLE THINGS」だけは持ってないという方々もいて、何とも有難いことです。
さてそこで私は、再び「LITTLE THINGS」が世に出ることを考えたとき、あのお粗末すぎるジャケットがどうしても気になりだした。
当時私はCDというのはあくまでも中身が肝心で、ジャケットってどうでもよくない?
なんて浅はかで横柄な考えをもっていたバカもんでした笑
右も左も分からない初めての自主制作、初めてのリーダーアルバムということもあり、ジャケットまで気を配ることが出来なかったというのも正直なところです。
表ジャケの写真は「ただでさえ小林さんはボーっとしてるんだから、ポーッとぼかして写さずに、何でボーっとしてる小林さんをぼかさないでちゃんと撮らないの?」
とbassist 吉野氏に言わしめた由緒ある写真(笑笑)
ジャケ内側は無いに等しい状態だし.......
アケタさんから「盤は見つかったけどジャケットが見当たらない」との私にとっては好都合の知らせを受け、ここぞとばかりに「アケタさんの許可を得られるのであれば、私にジャケット作らせて下さい」とお願いした。即OKの返事をいただく。
2000年には出来なかったことを、その時の気持ちを丸ごと込めて私自身で作りたいと強く思った。
当時自主制作したものの、この後どうしようと思っていたところ、「うちで出したいくらいです。」とアケタさんに温かい言葉をかけていただき、
そのことがなかったら私はそれ以降恐らくアルバムリリースなんてできなかったかもしれません。今難病と闘うアケタさんへの感謝の気持ちもあります。
bassist 吉野弘志さん、drummer堀越彰さんにもとても感謝しています。両氏に連絡を取り、提供していただくものをお伝えし、
LITTLE THINGSが再び世に出ることに関しても喜んでいただけたと思う。
そんな訳で、悪戦苦闘しながらも、楽しみながら作業をしている昨今、そんな毎日も後少しで終わりかもしれない。
いろんなことを思い巡らせながらの良い時は、もう少しで終わりかもしれない。
練習、日常のこと、作業の繰り返しで、特に作業は冷や汗ものだったけれど、やっぱり楽しんでた。ペットロスならぬ作業ロスにならないことを祈る。
結局は使わないものをamazonで注文したり、間違って注文し返品したり、
そうだ、冷凍庫で凍らせたフェイスタオルは大活躍だったな。頭を冷やすのにもってこいだった。
多分、一夜限りの(もしかしたら二夜限りの) LITTLE THINGS LIVE が実現するかもしれません。
20年の時を経て、あの時収録された曲たちを、今このトリオで演ったらいったいどうなるんだろう?
もし実現したら、私ですら10曲中9曲が20年ぶりに演奏する曲となる。
懐かしいという思い、ではなく、考えるだけでもとても嬉しいしワクワクする。
そう言えば、今朝目が覚めたら、さっきまで見ていたのであろう夢を覚えていた。こんなの久しぶりだ。私はもう夢を見なくなったんだなぁと思っていた。
登場したのは当時飼っていたカナリアのカナちゃんだ。
2000年のレコーディングの日、カナちゃんはカナリアらしい美しい声で鳴いた、
なんてとんでもない!
いつもビービー鳴いてたのを思いだした。ピーピーではないのですよ、ビービーって大音量で鳴いてた。まるでミンミンゼミみたいだったよね。
防音室に入るのはピアノじゃなくてカナちゃんじゃん。
今朝のビービーは、恐らくあと一息がんばれよ!ってこのなのかな、って思っておくことにする。
Comments