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真っ新な不思議な感覚

こんな感覚って誰もが経験することなのだろうか。

ピアノの椅子が低ーくなり、ピアノと再び一体感を感じれるようになり、あぁそう言えば遠い昔にはこんな感覚だったなぁと追憶の日々。

決して昔は椅子が低かった訳ではない。

ごく普通だったはずだ。


ただただ単純に、ピアノを弾けることが嬉しいなぁって思う。多分ピアノを習い始めた幼少期にこんな気持ちだったと思い返す。

できないことに対して丁寧に向かう。

ただ幼少期とは音楽の経験値が比べものにならない位違う訳だから(当たり前だよね)、あの頃の自分にしてやったりだ笑

幼少期の自分と競う大人気ない奴。



萎縮していた脳が膨らんで活性し始めたとでもいうのか、何という素晴らしい人生か(笑)

膨らんだのは音楽脳だけで、その他は萎縮の一途をたどるが、まぁ今のところ生活に不自由はないから良しとする。


生きていれば面白いことがあるもんだ。

長ーい間パニックを起こしていた神経回路は、正常な流れに戻るどころか、新たに新発見への路へと流れ出したようだ。しかも音楽の細かいことへの察知脳力は以前より高まっている。気のせいだろうか?

そうだろなぁ、気のせいなんだろうな。

こんなことある訳ないじゃん(とか言いつつも脳に奇跡はあると密かに期待もする。この期待は6/21Tone Momentum@cafe Beulmansで、微かな実感に変わったような気がした。)

ただ瞬発力だけは衰える。

これは致し方ないこと。


ピアノって大体みんな小さい頃から始める。大人になって、音楽の仕事というカテゴリー以外に、その能力を維持するだけでも膨大な時間を費やしているけれど、今だにそのことに飽きないのは何故だろうと考える。

ただ単に好きだからで済ませられるのか。

そりゃあ、今日はサボりたいって思う日はたーくさんあるし、思うだけでなく率先して実行に移すこともあった。

そんな日は大体自己嫌悪に陥る。まじめなんだかふまじめなんだかは分からないw


中には「私は練習なんかしない」って言う人がいる。それは練習していないんじゃなくて、どこかのタイミングで無意識の内に練習ができてる人なんだと思う。


そう言えばキース・ジャレットとグレン・グールドは同じこと言ってたなぁ。

「私は今まで大事に大事にたーくさん練習してきたから、今は毎日の練習の大事なことは、20 分で一通り終わる。」って本に書いてあったっけ。


何で分数まで一緒なんだろ?

そうだよな、時間だけかければいいってもんじゃないし、問題は練習の質だもの。

でも20分はほんとかなぁ?と、特にキース・ジャレットに関しては半信半疑。


でもこれも人それぞれ。ビル・エバンスは亡くなる数日前まで毎日最低でも5時間は練習していたという話もある。


何だか今日は、学生の頃に言ってたような内容のこと書いてるな。


結局今もまだ飽きずにああでもないこうでもないってやってるのは、私の思うあるところに到達してないから飽きない訳で、、、、

簡単に到達することって、きっとすぐ飽きるだろうなって思う。

かと言ってあまりに出来ないとメゲるけど、でも出来る感覚を想像できるから飽きない、きっと。だって出来る感覚をイメージできてる以上、それに向かって進めばよい。

到達するかしないか、それ自体は私にとって大した問題ではないのだけど。


ピアノを弾く際の身体の使い方を今まで以上に意識するとおもしろい。

昔、ジャズの師が「楽器を弾く際の身体の軸になるところってどこ?」と、共演者(bassistdrummer)に尋ねているのを聞いたことがある。


師は「俺は肩だな」と言っていた。

その頃は私は心の中で「私は腹筋かなぁ」と思った。お腹から音出さないと美しい音でのffppも出せなかったから。


でも今は私も肩、というより三角筋だな、という結論に達した。軸は三角筋で、支えとなるのが指の根本の関節。

巡り巡って一周しているではないか。

しかも昔の状態に+α味付けされている。

筋違いの味付けではないと思う。


まるで、ピアノ始めた3年生です!だな。

でもこの3年生感覚が非常に心地よく心晴れやかでおもしろい。不思議な感覚でもある。


10年前の6月は私は病院のベッドの上にいて、あんなに辛かった入院生活を思い出すだけでも目頭が熱くなるけれど、何が辛いって手術や治療はその時の私にとってはどうでもよく、私は死にたいと思っているのに生きろー生きろーと病院のスタッフみんなが全力で押しかけてきた。


なんで?



そして若かりし頃あるバンドで共演させていただいたギタリストが同じ病気で亡くなられた知らせを受けたのもこの時だった。

何故⁈


もし神様がいるとしたら、いったいどのような理由でこんな判断をされたのか、容赦ない無情を感じた。



まだまだ生きたかったですあろう父も、亡くなったのは6月(1992)、告別式を終え福岡から東京に戻る機内で「お父さん、ありがとう」という文字が焼かれた父の日のクッキーをCAさんから渡された。まだ「お父さん、ありがとう」の時代だった。


そのせいか毎年6月は気候と同じく心もジメジメするのだけれど、

今また新たな気持ちで音楽と真摯に向き合い、生きていることを幸せに思う。

いつかは皆訪れる死への恐怖は全くないけれど、よーく考えて努力すればもしかしたら出来るかもしれないことをそのまま放置することの方がよっぽど怖い。努力の結果はどうあれだ。


不幸せは、日常の中にある小さな幸せに気付けない心でいることかな。


ピアノを始めたばかりのピッカピカの3年生は、

「長い旅は一歩から始まる。

そして人生は大きな挑戦であり、険しい道のりでもあり、素晴らしい冒険である。」

なーんて、生意気なことをぬかすのであった。






 
 
 

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