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執筆者の写真yoko kobayashi

自分スタイル

誰しも、変えてしまいたい過去や消したい過去はあるものなんだろうけど、

私は、一番辛かった音楽から遠のいていたり完全に離れていた時期のことは、消したい等とは今は思っていない。


変えられるものなら、むしろそのずっと以前の、のほほんとして何も考えず、勘違いして日々を送っていた頃を変えたい思う。(自分勝手な若気の至り的なことも含む)


今更どうしようもない、消すことやり直すことはできないけれど、この先どう生きるかによって、やり直せるものならやり直したいと思っている過去の意味は、いかようにも変容するのではないかと最近思い始めた。



世の中に自分大好きな人ってどのくらいいるのだろう。

私は自分の嫌いなところがたくさんあって、ずっと思い悩んできた。

でも、もう戻ることはできないだろうと思っていた音楽の世界に戻ってこれた時、現実か気のせいかあやふやだったけれど、やればできるじゃないって、少しだけ自分を褒めることができた。

ほんの少しだけ好きになれたのかもしれない。



自分自身を認め尊重できないと、物事を前に進める原動力にも欠けるだろうし、

まず創作的ではないよなって思う。

いつになったら自分自身を認めることができるのか皆目見当がつかない。

ただ、その自分のことをすっかり忘れているのか、物事を前に進める原動力だけはびっくりするほどあるのが不思議だ。



未来が過去を創り出すのだとしたら、この先どんな生き方したらいいのかって考えたりもするけれど、何となくは分かっているような気もする。


手を抜いただけ雑草は生えてくる。

自分のやりたいことに対して努力を惜しまず、毎日大切に思いっきり生きるしか手はないと、こんな当たり前のことしか考えつかない。


8年ほど前だったか、毎日の時間のやり過ごし方しか考えられなかった頃、そんな私に「大丈夫ですよ、小林さんは必ず復帰できますよ」と心療内科の先生は言った。


その時私は、「いったいこの先生は何を言っているの?そんなこと出来るわけないじゃない、その気もないし」と心の中で呟いたのを今でもはっきりと覚えている。


当時を振り返って、感情というものを捨てないと生きていけなかったあの頃でも、「その気もないし」という感情はもっていて、「その気もないし」と思うことが、毎日をただやり過ごすための原動力になっていて、そんなことは今思えば先生はすべてお見通しだった。


この頃から、私の未来が過去の意味を変容させる道筋が立ち始めていたんだと思い知る。


自分の嫌いな部分が少し減ると、重たい心がだいぶ軽くなるものだ。


過去は振り返らず前を見て進めとよく言うけれど、こうやって振り返ってみて新たに気づくこともあるし、今だから気付けることもある。

自信を持てることだって出てくる。


辛かった時期のことは大事な出来事だったんだと思えるようになったということだ。

私にとっては未来に向かうためには、ほんの偶に振り返ることも大切なんだと考えなおす。


きっとこれが自分スタイルなんだと思う、

ことにする。







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