今私は最も充実した時を過ごしているんじゃないかって思う。
人はオギャーと生まれた瞬間から、留まることがない時の中で、人生を歩むという運命が始まる。
両親に聞いた話では、実は私はオギャーと泣かなかったそうで、もしかしたら母のお腹から出てきた時点で生きる運命を断ち切られていたかもしれない、なんてそんなこと思うと不思議な気持ちにもなってくる。
看護師さんや先生が、赤ん坊(私)の両足を持ち、逆さにして背中をポンポンと何度も何度も叩いたそうな。
そうしたらやっとのことオギャーと泣いたんだそうだ。随分と昭和なやり方のようにも思えるけれど、でもそのお陰で今の私が存在するわけだ。
18歳で親元を離れ、思い返せば何の苦労もなく、時々障害物が目の前に現れてもケセラセラだった。若さという強みだ。
音楽が好きで、音楽することが当たり前のようにやってきたから、それに対する努力や犠牲にすること(諦めなくてはならなかったこと)があったとしても、
そんなことは苦労とも何とも思わない。仕方のないことだと思っていた。これは皆同じなはずだ。
苦労していたとしても音楽出来ていること、勉強できる環境にあること自体が幸せだったということだ。今思えばだけれど。
でも何か勘違いしてたんだろうな。音楽以外の生きていく上で大切なことも学習しないで、勘違いしていることに気づきもしないで、そんなわがまま放題で生きてきたツケが溜まり、
結果「あなたが生きていくには、音楽をやめるしかありません!」って言い渡されたんだな、きっと。
小さな頃からズーッとやってきて音楽しかできなかった私に、日常生活は何の問題もなく出来るのにピアノだけが弾けなくなるという現実。
正直、何で今頃?!と思った。どうせ言い渡すんだったら、もう少し若い時にしてよ、と言いたくもなったが、恐らくそれでは効き目がないと神様は思ったに違いない。
good timingではないと神様は踏んだのだ。
そんなこんなで音楽と全く無縁の辛い時期があったからこそ今の自分があるんだけれど、
今年上半期までは「悠々として急げ」をモットーにやってきた。というのも人生何があるか分からない、今しかないと思ってやってきた。
こんなモチベーションやエネルギーを保持していられるのもせいぜい2~3年がいいとこだろう、途中で転んでも良しとしてきた。
転んだとしてもやらなかったことを後悔するよりはるかにマシだ。
ところがせいぜい2~3年だろうと思っていたそれらは今も続いているようだ。
きっと私の魂の奥底にあったいくつかの種は、今にも発芽しそうだったんだろうな。
私にはたくさんのイメージとなって伝わってきた。
そして今の私の魂の奥底にある種は小さな小さなもの。在るかもって気配を感じるくらいの小さなもの。
この種は心のあり方みたいなものだと感じている。
今のLIVEペースが私には適しているのだろう。それによって生まれた小さな種だ。
今、時間を楽しく使い、考えることも楽しい。例えば、「次はこの曲演るかな?」って共演者のオリジナルの譜面とにらめっこで、
はは~ん、ここはそういうことか?!なんて、やってることは20歳の頃と変わってないじゃない。
スタンダード曲が共演者のオリジナルになっただけだ。でもこんな時間がとても心地よい。
やってることは同じでも、「20歳のあなたより、はるかに人生を謳歌してると思うよ。それに20歳のあなたより断然心身共に健全だよ」
と自分自身に言ってみる。これは正直な気持ちだ。
一日が30時間、いえ27時間でもあったら、ちょっと助かるんだけどなとも思う。
先日blog 記事「思い巡らす時」を記しましたが、23年前にリリースされた「LITTLE THINGS」の素人(業界用語でいえば、とーしろう?笑、こんな業界用語言ったことないけど)のジャケトデザインは全て出来上がり、再びめでたく発売されるのも間近と思われます。
遠方の方々には発売開始されましたら発売元等お知らせさせていただきます。
写真などは当時のものを使いました。皆若い!
今も変わらず生き生きと活躍されているお二人には脱帽です。
次回からのライブ会場にも持ち込みますので、どうぞお声がけ下さい。
ですが、一夜(二夜)限りのLITTLE THINGS LIVE / (bassist 吉野弘志 drummer 堀越 彰) を必ず実現させますので、その日までお待ちいただける方はのんびりとお待ち下さいませ。
このジャケットデザインという作業をしながら、自分の音楽への思いを逆戻りさせてみた。
逆戻りって必ずしも悪いことではないような気がする。
進歩していなければ逆戻りは出来ないし、故に逆戻りできるということは、私が進歩している証拠なのではないかと勝手に思っている。
でも私の人生の目標である「穏やかに強く」。まだまだ遠い道のりだ.......。
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