Facebookで「~さんにフォローされました」とのお知らせを見た時、
まさか!何かの間違いか、同姓同名の別人物だと思い、しばらく気にしない、
何故?という気持ちはひとまず置いておくことにする。
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私が音大を卒業してどの位の年月が経っていたか、その頃初めて自分で炊飯器を買ったのだけれど、あまり使う機会もなく、何十年も経って今頃壊れた!
TOSHIBAの可愛い3合炊き(笑)
そう言えばあの頃2kgのお米を買ってきても、気づいた時には、古古古米になり過ぎて結局捨てる羽目になってたっけなぁ。
母は料理がとても上手だったのに、そういうところはどうも遺伝しなかったらしい。
周りのmusicianは皆器用だしセンスも良いから、料理は得意な人が多いんだろうなぁ。
注文しておいた炊飯器が届いた(嬉)めっちゃかわいい。今度はSHARP。
中を見たら驚いた。おかまが鉄で出来てる?すごいなぁ昨今の炊飯器は皆そうなのか。
白米、玄米、雑穀米、発芽玄米、無洗米、炊きこみ、おかゆ、おまけに「おいそぎ」まであってパンも出来る?!
えーーー!そうなの??
何だか横井正一さんになった気分。
一応取説パラパラとめくり、その間何となく「~さんにフォローされました」だか
「~さんがあなたをフォローしました」だか分からないけど、
同じ意味だよななんて思いながら、白米でセットする。
そして、やっぱりどうしても気になっちゃって、その方のページを見てみると、二度見三度見してもどう考えてもご本人のようだ。
では何故?何故フォローして下さったんだろう?訳が分からない。
もしかしたら誤ってフォローボタンを押され、しかも押したことに気づいていないのだったらお伝えするべきか!
もう思い切って友達申請して、フォローが間違いでないとしたらその理由を伺うか?
とそう思ったその時、炊飯器がピッピッピーーーッと鳴った。
え?炊飯器もピピピーーー!って鳴るの?
少し話は逸れるが、こういった生活必需品に関してもそうだけれど、 SNS等は、2018年に復帰する時の準備として、友人に勧められ一応アカウントを取得した。
それまでの10年間は異常な心の引きこもり状態で、井の中の蛙大海を知らず、
復帰してから世の中の流れや今の音楽シーンを目の当たりにした。
そして自分のことはイマイチだけど、人間って素晴らしいなぁって思えるようになった。
そして日常事って結構面白いものなんだなぁとも思えるようになった。 やっぱり私は横井正一さんだった。
そんなことを思いながら、折角美味しい新潟産コシヒカリが炊けたのだから、
豚肉の南蛮炒めを作る。
ネギは斜め薄切り、ピーマンは細切り。
豚肉は適当に切って片栗粉をまぶす。
後はゴマ油で炒めて赤唐辛子、生しょうゆと本みりんと酢を加えて味付け、いつもの簡単レシピ。
そして大根ツナサラダを作り始めた時、狭いキッチンは荒れ放題、
今制作中の3曲のことが気になりだし、「ん?!あそこはこういう展開にもできるかな」
などと思ったりする。
コロナでずっとお休みになっていた双頭UNITが来年再開。ゲストをお迎えして演るLIVE用の曲。
家事全般に集中できない私だけど、まぁこんなものかとも思う。
一つのことに集中できないのは欠点でもあり、ほとんど音楽に寄っていくけれど甲斐ない結果になることもあるから厄介な気質だ。(演奏中だけは別だ。もちろん集中!)
以前に聞いたことがある。片付いていない方が創造力がアップするのだとか。
なるほどこれがそうなのか?などと思うが、言い訳のような気もするし、南蛮炒めが冷めてしまったら、
またピピピーッとなる電子レンジに入れる破目になるのは情けない。
って思うも結局ちょっと曲中手直し。こういうことは即やらないと直ぐ忘れてしまうのだ。
冷めた南蛮炒めとぬるくなった大根サラダを見て、ほらまた「だから言ったじゃない」ってなる。温め直しと冷やし直し。あ~ぁ。
閑話休題
料理して食べ終わり片付けし終わるまでどれだけの時間が経っただろうか?
やはり「~さんにフォローされました」が気になってしまう私。
何故気になる?実際にお会いしたことはないけれど、お名前は良く知っているミュージシャンだからだ。
意を決する。メッセージを送る。
散歩に出る。所用を済ませる。
さやさやと揺らぐ木々の葉の下のベンチに座り通りを見ていると、手を繋いで歩く老夫婦は秋を満喫し人生を楽しんでいるように見えて、
思わずにんまりしたりする。見ているだけで幸せになるなぁ。
さて家に戻る頃には日も暮れて、練習&曲手直しに励む。
そして夜は深更なり。
とても丁寧な返信メッセージを目にすることとなった。
何方かの投稿への私のコメントに興味を覚え、私のページに行き、記事を少し読んで更に興味が深まりフォローのボタンを押したとのこと、お互い表現方法は違っていて共通点はないのかもしれないけれど、だからこそ興味が湧き、
いつか必ずこっそりLIVE聴きに行きます、って、えーーーーーーー?!
え?、えーーー!えーーーーーーー?!って三段活用か。
何と感激の多い日なのだ。
私の何故?は益々深まり、逆にその音楽家の今の音楽にとても興味が湧いた。
恥ずかしながら、子供の頃にテレビから流れてきたその音楽しか知らなかったのだ。
最近ではyoutubeなどで拝見し、以前の印象とはまた違う、カッコいいロックミュージシャンという認識に変わっていた。
私は即行動に移し、スケジュールを調べ、都合の付く日に即予約を入れた。
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そしてもう半月も前のこととなった。既に一年も前の幻のことのように感じる。
その日もやはり会場いっぱいのオーディエンス。「あそこの席へどうぞ」と案内され、
先入観なしに心と頭を真っ白にして、でもワクワクは押さえられず開演の時を待つ。
ピンと張りつめた空気の中始まったその音楽は、
冷たい大地にポッと桜が開花したり、灼熱の太陽の日差しがさんさんと降り注ぐツンドラだったり、
とても不思議な感動だった。私はこの発せられる音そのものも好きなんだと感じた。
全身に染み入るように響く。
この感動を文章にするのは難しい、というか私には表現できない。
★とても素敵で重要なことは、こんなに拍手が邪魔だと思ったLIVEは初めてだったということ。
一曲終わって無音になってもまだ音楽は続いている.......。
MCでさえその音楽の中にある。
感動ものだ!これしか言えない。
アンコールのThe Man I Love 、こんなに素敵なThe Man I Love を初めて聴いた。
初めてThe Man I Love っていい曲なんだなぁと思った。
(余談 : ずっと以前に、ロック・ミュージシャンが演るジャズ・スタンダード曲「What ~ love~」とかいう、あー!タイトルど忘れ、Fmの曲、
因みにWhat is this thing called love じゃないバラード曲、
とにかくそれがとっても素敵だったのを覚えている。
あータイトル思い出せないや、まッいっかぁ。)
やっぱり、この日の音楽は、拍手は各ステージが終わった時とアンコール曲が終わった最後の最後だけだと感じた。
でもそうはいかないだろうな。一曲一曲素晴らしいから、聴いている方々は皆拍手を送る。当たり前のことだもの。
あの無音の時を息を凝らして楽しんでいたのは私だけだったのだろうか。
きっと同じようなことを感じた人がいたんじゃないかなぁ。
この音楽を聴くことが出来てほんとに良かった!
こんなことが無ければ、機会はなかったかもしれない。
ジャンルや好み(と言っても固定的観念に基づくつまらないもの)なんて関係なく、今、良い音楽(LIVE)に何かを感じ心から楽しめるようになっていることも、私自身の成長なのかなって思う。
感動すると分泌されるグルタミン酸やドーパミンは、過剰な量は毒性とされ、早く老化する可能性がある、という説がある。
様々LIVEを聴きにいくと、どれも楽しくワクワクし感動するけれど、いつもどの位のグルタミン酸やドーパミンの量なんだろう?
この日は、非常に不思議でもあり、毒性のある美しさに心かき乱された感動とでも言うべきか、さぞ老化が進んだに違いない(笑)
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