今日は、4月にコロナ禍のためキャンセルになっていた、5年目の検査に行く。
私は今とても元気で毎日を送っているけれど、この病院に来ると、今でも胸が締め付けられる。
手術後間もないのに、点滴の台を引っ張って、よく廊下を走り急いでいた記憶しかない。看護師さんたちには要注意人物としてレッテルを貼られていたに違いない。
いつまで経っても、止められていたジストニアの薬の許可がおりず、いつものように点滴台を引っ張り、談判しにいく途中の廊下でふらついて、突き出た壁に頭をぶつけ、これでもかというくらいの大きなコブを作り、
気付けば病室には、ガン患部とは全く関係のない脳外科?の医師と看護師さんがぞろぞろ、どこからともなくやってきた。
手術入院中に、患者に頭に怪我を負わせたなんてことになったら、病院の面子が立たないということなのだろう。
そんな患者としてはあまりよろしくない入院生活だった。
同年代の素晴らしいギタリスト津村和彦氏が亡くなった知らせを受けたのも、私自身が同じ病気での入院中でのことだった。
こんな知らせは本当に辛いものだ。
もう20年も前にやはり同年代のベーシスト山元恭介氏も同じ病気で亡くなった時のショックと重なるものがあった。
そして、退院してまもなく、今度は師が末期の膵臓癌という知らせを受け、2015年はこんな年だったとしか記憶がない。
病院に来ると、いつもこのような記憶が蘇ってくる。
あれから、周りの亡くなった素晴らしい音楽家たちは少なくはない。
何故今自分が生かされているのかは分からないけれど、要するに生きなさいということなのでしょう。
今日は、病院の壁の一生懸命に健気に生きる彼?彼女?に癒される。
その目は真っ直ぐにこちらを見据えていました。
しっかり地に足をつけて、進んでいかなければ..........。
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