人生には「上り坂」「下り坂」そして「まさか」という三つの坂があると聞いたことがある。うまいこと言うなって思う。
父が亡くなったのは6月、音楽をきっぱり止めて人生初全く知らない世界に足を踏み入れ生活環境がガラリと変わったのも6月、そして手術台に横たわり(腹腔鏡による上行結腸全摘手術)、薄れていく意識の中で、このまま目が覚めなければどんなに楽かと思ったのも6月だった。そう思ったこと、今では母に申し訳なく思うし恥じてもいるけれど、6月はあまり好きではない、のかもしれない。
今までで、もう生きるのは無理だと思ったのは、この時一度っきり。
無理だと思ったのに今生きてるじゃない。結局は考えが甘いのだ。現実逃避でしかなかったということだ。
でもこのあたりの7~8年の間に私に起こった出来事をまとめたら、きっと長編小説かホラー映画が出来上がるだろうな、って思う。
それに比べると、今は信じられない状況だ。上り坂をゆっくり歩いているようなものかもしれない。何の力が「今」を引き寄せたのかは分からない。きっとある時から、ただ呼吸をして毎日をやり過ごすのではなく、やっぱり私は私らしく生きたいという気持ちが芽生えたのだろう。
今でもその頃のことは心のどこかにはあるんだろうけれど、普段しみじみ思い返すことはない。しかしほんの少しだけ記憶がよみがえる梅雨の季節。
きっとずっと毎年そうなんだろうな。決して気持ちが暗くなるんじゃなくて、逆に生きる活力みたいなものを感じてるんだと思う。あんな中から這い上がれたんだから、という自信のようなもの。友人はよく言っていた。「ゾンビみたいだったね」って。
這い上がろうとする気持ちが芽生えた時点で元気を取り戻しているということだ。
梅雨の時期が近づいてくると心が少しザワザワするけれど、結局私にとって6月は、いろんなことで「勘違いするなよ!」とツッコミを入れてくれる、ある意味とても良い月なのだ。
心の「ザワザワ」は、注意喚起のザワザワだ。
考えてみる。
小学校を卒業するとき、色紙に「将来なりたい職業をみんなで書いてみましょう」となり、私は「ピアニスト」って書いた。ヨハン・シュトラウスの家に居るトム&ジェリーの話ですっかり勘違いしてたからなぁ笑
20歳(音大生)の時、音楽で食べていくなんて相当大変だから、子供にだけは迷惑かからないように、そうするためには?、子供は生涯持たない、と決めたのだった。
「そんなの30歳を前にしたら考えもすっかり変わるよ。」と周りには言われ続けていたけど、私の中では変わらないことははっきりと分かっていた。
ちょっとこの頃から既に思考回路がずれていたような気がする。
もっと他に、有言実行すべきことはなかったの?なんて考えたりするのもこの季節。
何度も自分に言い聞かせるが、全て「勘違いするな」ということだ。
梅雨を苦手とする私も、近頃やっと日本の梅雨の時期ならではの美しさを楽しみたいと思うようにもなった。
雨が降ると緑は鮮やかさを増し、梅雨の風物詩でもある紫陽花は見事に主演を務めているではないか。
人の心を癒す不思議な力さえ感じる。
人生には「上り坂」「下り坂」そして「まさか」という三つの坂があるという。うまいこと言うなって思う。
生きていると皆、たくさんの「まさか」を経験する。
その「まさか」を「上り坂」と解釈するか「下り坂」と解釈するか、それはず~っと後になってからでないと分からないような気がする。
だから「まさか」枠がちゃんと用意されてるんだって何となく思うようになった。
確かに、まさか!はありますね。今までの人生で、ビックリするような素晴らしい事も、いきなり崖から突き落とされるような悲しい事も、いつも突然訪れました。