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断捨離

4月16日
読了時間: 2分

春らしいやわらかな陽気に導かれたのか、珍しく早く目が覚めた。

窓を開け、部屋の空気をゆっくりと入れ替える。


先月――三月。

母はいよいよ天へ召されるのではないか、というところまでいった。

それでも、何か思い残すことがあるのか、ふたたび持ち直してくれた。

見えず、聞こえずとも、生きようとする力はこんなにも強い。


父が亡くなって、もう三十年以上になる。

もう会いたいよね。無理しなくてもいいんだよ。

妹や弟も、みんな覚悟はできているから。


いつか、弟が配信で私のピアノを母に聴かせたらしい。

「ふん、ふん」とかすかに応えたという。

きっと分かってはいないのだろうけれど、それでもいいと思えた。


このところ、母のことが気にかかり、早く目が覚める日が続いている。


早起きは三文の徳というけれど、今日はいつもの掃除が、いつのまにか整理へと変わっていった。

特に「捨」。

出てくる、出てくる。不要なものを次々と袋に収めていく。


不思議と、心地よい。

まだ三割ほどだろうか。これから少しずつ続けていこうと思う。

余分なものを手放すことは、そのまま心の奥にも風を通すことなのだと、実感する。


今年は、新しい気持ちで、今与えられている音の時間を味わいたい。

目指すべきものは、音楽の先にある何かではなく、自分自身への決意なのだと思う。


沈黙が美しく浮かび上がる音楽。

そして、その沈黙を切り裂くように立ち上がる、色彩豊かな音。

その両方が、均衡のなかで現れては消えていく――そんな在り方に惹かれている。


前者は、編成が大きくなるほど難しいのか。

それとも、SOLOやDUOのように、むき出しの形のほうが難しいのだろうか。


整理を進めるうちに、最小限の音が鳴るその瞬間を思い描くだけで、楽しくて仕方がなくなる。


これまで避けてきた、自分の中のさまざまな感情――喜びも哀しみも含めて――

それらと正面から向き合う覚悟が、ようやくできてきた気がする。

避けるのではなく、受け止めること。

それが、心の整理につながっていくのだろう。


自分の器は決して大きくはない。

けれど、その限りある器さえ、まだ十分に使い切れていなかったのだと思う。


いくつになっても。

たとえ届かないかもしれない場所であっても。

自分の思う方へ歩いていける今に、静かに感謝している。






 
 
 

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