断捨離
- yoko kobayashi
- 4 時間前
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春らしいやわらかな陽気に導かれたのか、珍しく早く目が覚めた。
窓を開け、部屋の空気をゆっくりと入れ替える。
先月――三月。
母はいよいよ天へ召されるのではないか、というところまでいった。
それでも、何か思い残すことがあるのか、ふたたび持ち直してくれた。
見えず、聞こえずとも、生きようとする力はこんなにも強い。
父が亡くなって、もう三十年以上になる。
もう会いたいよね。無理しなくてもいいんだよ。
妹や弟も、みんな覚悟はできているから。
いつか、弟が配信で私のピアノを母に聴かせたらしい。
「ふん、ふん」とかすかに応えたという。
きっと分かってはいないのだろうけれど、それでもいいと思えた。
このところ、母のことが気にかかり、早く目が覚める日が続いている。
早起きは三文の徳というけれど、今日はいつもの掃除が、いつのまにか整理へと変わっていった。
特に「捨」。
出てくる、出てくる。不要なものを次々と袋に収めていく。
不思議と、心地よい。
まだ三割ほどだろうか。これから少しずつ続けていこうと思う。
余分なものを手放すことは、そのまま心の奥にも風を通すことなのだと、実感する。
今年は、新しい気持ちで、今与えられている音の時間を味わいたい。
目指すべきものは、音楽の先にある何かではなく、自分自身への決意なのだと思う。
沈黙が美しく浮かび上がる音楽。
そして、その沈黙を切り裂くように立ち上がる、色彩豊かな音。
その両方が、均衡のなかで現れては消えていく――そんな在り方に惹かれている。
前者は、編成が大きくなるほど難しいのか。
それとも、SOLOやDUOのように、むき出しの形のほうが難しいのだろうか。
整理を進めるうちに、最小限の音が鳴るその瞬間を思い描くだけで、楽しくて仕方がなくなる。
これまで避けてきた、自分の中のさまざまな感情――喜びも哀しみも含めて――
それらと正面から向き合う覚悟が、ようやくできてきた気がする。
避けるのではなく、受け止めること。
それが、心の整理につながっていくのだろう。
自分の器は決して大きくはない。
けれど、その限りある器さえ、まだ十分に使い切れていなかったのだと思う。
いくつになっても。
たとえ届かないかもしれない場所であっても。
自分の思う方へ歩いていける今に、静かに感謝している。




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