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断捨離

春らしいやわらかな陽気に導かれたのか、珍しく早く目が覚めた。

窓を開け、部屋の空気をゆっくりと入れ替える。


先月――三月。

母はいよいよ天へ召されるのではないか、というところまでいった。

それでも、何か思い残すことがあるのか、ふたたび持ち直してくれた。

見えず、聞こえずとも、生きようとする力はこんなにも強い。


父が亡くなって、もう三十年以上になる。

もう会いたいよね。無理しなくてもいいんだよ。

妹や弟も、みんな覚悟はできているから。


いつか、弟が配信で私のピアノを母に聴かせたらしい。

「ふん、ふん」とかすかに応えたという。

きっと分かってはいないのだろうけれど、それでもいいと思えた。


このところ、母のことが気にかかり、早く目が覚める日が続いている。


早起きは三文の徳というけれど、今日はいつもの掃除が、いつのまにか整理へと変わっていった。

特に「捨」。

出てくる、出てくる。不要なものを次々と袋に収めていく。


不思議と、心地よい。

まだ三割ほどだろうか。これから少しずつ続けていこうと思う。

余分なものを手放すことは、そのまま心の奥にも風を通すことなのだと、実感する。


今年は、新しい気持ちで、今与えられている音の時間を味わいたい。

目指すべきものは、音楽の先にある何かではなく、自分自身への決意なのだと思う。


沈黙が美しく浮かび上がる音楽。

そして、その沈黙を切り裂くように立ち上がる、色彩豊かな音。

その両方が、均衡のなかで現れては消えていく――そんな在り方に惹かれている。


前者は、編成が大きくなるほど難しいのか。

それとも、SOLOやDUOのように、むき出しの形のほうが難しいのだろうか。


整理を進めるうちに、最小限の音が鳴るその瞬間を思い描くだけで、楽しくて仕方がなくなる。


これまで避けてきた、自分の中のさまざまな感情――喜びも哀しみも含めて――

それらと正面から向き合う覚悟が、ようやくできてきた気がする。

避けるのではなく、受け止めること。

それが、心の整理につながっていくのだろう。


自分の器は決して大きくはない。

けれど、その限りある器さえ、まだ十分に使い切れていなかったのだと思う。


いくつになっても。

たとえ届かないかもしれない場所であっても。

自分の思う方へ歩いていける今に、静かに感謝している。






 
 
 

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