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答えのない問いを抱えて

何で神様は、この人から音を奪ったのだろう。

いまだに、納得できないでいる。


アルバム「MY LIFE」が届いた。

感想は、すでに多くの方が語り、様々な媒体でも取り上げられている。


だからここで私があらためて語ることは、きっと多くはない。


それでも——


音を聴くと、ただ涙が出てくる。

それは、聴く前から分かっていた。

だからこそ、再生ボタンを押すのにも、少しの勇気が必要だった。


血の繋がりがあるわけでもないのに、

こんなふうに涙が溢れることは、これまでなかった気がする。


思い当たることがあるとすれば——


昔、多田さんが中国・四国のツアーを組んでくださり、

ご実家に皆でお世話になったことがあった。

そのとき、ふと感じた。

育った環境がどこか似ているような気がして、

心の奥で、親戚のような感覚を抱いたことを思い出す。


このアルバムに収められているのは、

まさに多田さんの“最後の音”だ。


街中でふいに流れてきたとしても、きっとすぐに分かる。

ああ、多田さんだ、と。


それは、

マイルス・デイビスが鳴ればマイルスだと分かるように、


チャーリー・パーカーが鳴ればパーカーだと分かるように。


音には、その人そのものが宿るのだと思う。


上京されたばかりの最初の二年間、

そしてプレイヤーとしての最後の五年間。


その時間を、自分のユニットで共に過ごしていただけたことを、

感謝とともに、静かに引き出しにしまう。


実はこのアルバム、

多田さんのご自宅と私のもとを、二往復半もしている。


ご本人は申し訳なさそうにされていたけれど、

私はどこか、ほっとしていた。


これまで、死に物狂いで走り続けてきた人だ。

今もなお、様々な作業や連絡、

これからのライブや上映に向けた準備で、

頭の中はきっと休む間もなく動き続けている。


そんな中で、

送ったはずの郵便物が二度も戻ってくるなんて、

きっと初めての出来事だったのではないかと思う。


だからこそ——

こんなミスなら、いくらでもしてほしい。

少しでも、休んでほしい。


その瞬間だけでも、

多田さんの思考がふっと止まったのだとしたら、

それはどこか、救いのようにも感じられた。



最近の多田さんの表情は、

とても柔らかく、そして静かに強い。


想像を絶するほどの苦しさや悲しみがあるはずなのに、

それを微塵も感じさせない、

穏やかで揺るぎない強さがある。


実際には、あれから会えていない。

それでも、投稿される姿から、

私はつい、知ったようなことを思ってしまう。


今年は、会えるだろうか。

TEAM TUCKSでのラストライブも、

まだレコーディングのまま残っている。


少し落ち着いたら、打ち合わせと称して、

また四人で会えたらいいと思う。


そしてやはり、最後に戻ってしまう。



何で神様は、この人から音を奪ったのだろう。

考えても考えても、答えは見つからない。



 
 
 

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