答えのない問いを抱えて
- yoko kobayashi
- 23 時間前
- 読了時間: 3分
何で神様は、この人から音を奪ったのだろう。
いまだに、納得できないでいる。
アルバム「MY LIFE」が届いた。
感想は、すでに多くの方が語り、様々な媒体でも取り上げられている。
だからここで私があらためて語ることは、きっと多くはない。
それでも——
音を聴くと、ただ涙が出てくる。
それは、聴く前から分かっていた。
だからこそ、再生ボタンを押すのにも、少しの勇気が必要だった。
血の繋がりがあるわけでもないのに、
こんなふうに涙が溢れることは、これまでなかった気がする。
思い当たることがあるとすれば——
昔、多田さんが中国・四国のツアーを組んでくださり、
ご実家に皆でお世話になったことがあった。
そのとき、ふと感じた。
育った環境がどこか似ているような気がして、
心の奥で、親戚のような感覚を抱いたことを思い出す。
このアルバムに収められているのは、
まさに多田さんの“最後の音”だ。
街中でふいに流れてきたとしても、きっとすぐに分かる。
ああ、多田さんだ、と。
それは、
マイルス・デイビスが鳴ればマイルスだと分かるように、
チャーリー・パーカーが鳴ればパーカーだと分かるように。
音には、その人そのものが宿るのだと思う。
上京されたばかりの最初の二年間、
そしてプレイヤーとしての最後の五年間。
その時間を、自分のユニットで共に過ごしていただけたことを、
感謝とともに、静かに引き出しにしまう。
実はこのアルバム、
多田さんのご自宅と私のもとを、二往復半もしている。
ご本人は申し訳なさそうにされていたけれど、
私はどこか、ほっとしていた。
これまで、死に物狂いで走り続けてきた人だ。
今もなお、様々な作業や連絡、
これからのライブや上映に向けた準備で、
頭の中はきっと休む間もなく動き続けている。
そんな中で、
送ったはずの郵便物が二度も戻ってくるなんて、
きっと初めての出来事だったのではないかと思う。
だからこそ——
こんなミスなら、いくらでもしてほしい。
少しでも、休んでほしい。
その瞬間だけでも、
多田さんの思考がふっと止まったのだとしたら、
それはどこか、救いのようにも感じられた。
最近の多田さんの表情は、
とても柔らかく、そして静かに強い。
想像を絶するほどの苦しさや悲しみがあるはずなのに、
それを微塵も感じさせない、
穏やかで揺るぎない強さがある。
実際には、あれから会えていない。
それでも、投稿される姿から、
私はつい、知ったようなことを思ってしまう。
今年は、会えるだろうか。
TEAM TUCKSでのラストライブも、
まだレコーディングのまま残っている。
少し落ち着いたら、打ち合わせと称して、
また四人で会えたらいいと思う。
そしてやはり、最後に戻ってしまう。
何で神様は、この人から音を奪ったのだろう。
考えても考えても、答えは見つからない。




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