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答えのない問いを抱えて

4月21日
読了時間: 3分

何で神様は、この人から音を奪ったのだろう。

いまだに、納得できないでいる。


アルバム「MY LIFE」が届いた。

感想は、すでに多くの方が語り、様々な媒体でも取り上げられている。


だからここで私があらためて語ることは、きっと多くはない。


それでも——


音を聴くと、ただ涙が出てくる。

それは、聴く前から分かっていた。

だからこそ、再生ボタンを押すのにも、少しの勇気が必要だった。


血の繋がりがあるわけでもないのに、

こんなふうに涙が溢れることは、これまでなかった気がする。


思い当たることがあるとすれば——


昔、多田さんが中国・四国のツアーを組んでくださり、

ご実家に皆でお世話になったことがあった。

そのとき、ふと感じた。

育った環境がどこか似ているような気がして、

心の奥で、親戚のような感覚を抱いたことを思い出す。


このアルバムに収められているのは、

まさに多田さんの“最後の音”だ。


街中でふいに流れてきたとしても、きっとすぐに分かる。

ああ、多田さんだ、と。


それは、

マイルス・デイビスが鳴ればマイルスだと分かるように、


チャーリー・パーカーが鳴ればパーカーだと分かるように。


音には、その人そのものが宿るのだと思う。


上京されたばかりの最初の二年間、

そしてプレイヤーとしての最後の五年間。


その時間を、自分のユニットで共に過ごしていただけたことを、

感謝とともに、静かに引き出しにしまう。


実はこのアルバム、

多田さんのご自宅と私のもとを、二往復半もしている。


ご本人は申し訳なさそうにされていたけれど、

私はどこか、ほっとしていた。


これまで、死に物狂いで走り続けてきた人だ。

今もなお、様々な作業や連絡、

これからのライブや上映に向けた準備で、

頭の中はきっと休む間もなく動き続けている。


そんな中で、

送ったはずの郵便物が二度も戻ってくるなんて、

きっと初めての出来事だったのではないかと思う。


だからこそ——

こんなミスなら、いくらでもしてほしい。

少しでも、休んでほしい。


その瞬間だけでも、

多田さんの思考がふっと止まったのだとしたら、

それはどこか、救いのようにも感じられた。



最近の多田さんの表情は、

とても柔らかく、そして静かに強い。


想像を絶するほどの苦しさや悲しみがあるはずなのに、

それを微塵も感じさせない、

穏やかで揺るぎない強さがある。


実際には、あれから会えていない。

それでも、投稿される姿から、

私はつい、知ったようなことを思ってしまう。


今年は、会えるだろうか。

TEAM TUCKSでのラストライブも、

まだレコーディングのまま残っている。


少し落ち着いたら、打ち合わせと称して、

また四人で会えたらいいと思う。


そしてやはり、最後に戻ってしまう。



何で神様は、この人から音を奪ったのだろう。

考えても考えても、答えは見つからない。



 
 
 

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