top of page
Yoko Kobayashi
UA-118268888-1
UA-118268888-1
Blog | Yoko Kobayashi Website pianist jazz | 日本
検索


今も私を支えている言葉
今年の2月だったか、あるインタビューで 「小林さんにとって音楽って何ですか?」と聞かれた。 思いもよらない問いに慌てて、「私らしく生きていくために、なくてはならないものです」と答えた。 でも、本当は今でもよく分からない。 音楽とは何か。 なぜここまで続けてきたのか。 考えれば考えるほど、うまく言葉にならない。 安定した生活や将来のことなど考えずに、ただただ好きで続けてきた。 一つのことをずっと変わらずブレずにやってきた人たちは皆そうなのだろう。 ただ、どんな職種でも同じなんだろうけれど、好きなだけではどうにもならないこともある。 パソコンも携帯もない時代に、私の思う音楽をやっていくには、どうやって切り開いていったら良いのかなんて皆目分からなかった。 音大卒業したばかりの頃は何でもやった。テレビCM、ラジオCMは数え切れず、さまざま会社の企業PR動画、プロモーション、ブランディングムービー、お店の開店時閉店時の音楽、劇伴、アニメ音楽のレコーディング、汽船内音楽などの次から次にやってくるスタジオワーク全般。たまに依頼されるBGMとしての音楽の仕事。.
yoko kobayashi
5月28日


答えのない問いを抱えて
何で神様は、この人から音を奪ったのだろう。 いまだに、納得できないでいる。 アルバム「 MY LIFE 」が届いた。 感想は、すでに多くの方が語り、様々な媒体でも取り上げられている。 だからここで私があらためて語ることは、きっと多くはない。 それでも—— 音を聴くと、ただ涙が出てくる。 それは、聴く前から分かっていた。 だからこそ、再生ボタンを押すのにも、少しの勇気が必要だった。 血の繋がりがあるわけでもないのに、 こんなふうに涙が溢れることは、これまでなかった気がする。 思い当たることがあるとすれば—— 昔、多田さんが中国・四国のツアーを組んでくださり、 ご実家に皆でお世話になったことがあった。 そのとき、ふと感じた。 育った環境がどこか似ているような気がして、 心の奥で、親戚のような感覚を抱いたことを思い出す。 このアルバムに収められているのは、 まさに多田さんの“最後の音”だ。 街中でふいに流れてきたとしても、きっとすぐに分かる。 ああ、多田さんだ、と。 それは、 マイルス・デイビスが鳴ればマイルスだと分かるように、 チャーリー・パーカーが
yoko kobayashi
4月21日


断捨離
春らしいやわらかな陽気に導かれたのか、珍しく早く目が覚めた。 窓を開け、部屋の空気をゆっくりと入れ替える。 先月――三月。 母はいよいよ天へ召されるのではないか、というところまでいった。 それでも、何か思い残すことがあるのか、ふたたび持ち直してくれた。 見えず、聞こえずとも、生きようとする力はこんなにも強い。 父が亡くなって、もう三十年以上になる。 もう会いたいよね。無理しなくてもいいんだよ。 妹や弟も、みんな覚悟はできているから。 いつか、弟が配信で私のピアノを母に聴かせたらしい。 「ふん、ふん」とかすかに応えたという。 きっと分かってはいないのだろうけれど、それでもいいと思えた。 このところ、母のことが気にかかり、早く目が覚める日が続いている。 早起きは三文の徳というけれど、今日はいつもの掃除が、いつのまにか整理へと変わっていった。 特に「捨」。 出てくる、出てくる。不要なものを次々と袋に収めていく。 不思議と、心地よい。 まだ三割ほどだろうか。これから少しずつ続けていこうと思う。 余分なものを手放すことは、そのまま心の奥にも風を通すことなの
yoko kobayashi
4月16日


グレン・グールドと2cm
本当にこんなに低くていいのだろうか——そう思うほど、私のピアノの椅子は低くなった。グレン・グールドと、わずか 2cm しか違わない。 身長も腕の長さも、何もかも違うはずなのに、ほんとうにこれでいいのだろうか。 まさか、座高だけが同じだったりして——そんな馬鹿な、と思いながらも、どこかで否定しきれない自分がいる。 子供の頃から教わってきた感覚からすれば、これはもう冗談のような高さだ。 「いい加減にしなさい」と叱られてもおかしくない。 それでも、疑いながら弾いてみると、今の私にはこれがいちばん自然に馴染む。 だからもう、誰に何を言われても変えるつもりはない。 親指は、他の指とは違う方向を向いている。 そのため、人差し指と小指で手の内側を支える感覚が鍵になる。 椅子を低くしたことで、その支えが、すっと安定するようになった。 指の付け根を支点にして、腕はただ、ぶら下がっている。 そんな感覚がある。 ピアニストの指は白魚のようだ、という言葉を聞くことがあるけれど、 私は一度も、そんな手に出会ったことがない。 私の指はごつごつとして、掌には厚みがあり、関節も
yoko kobayashi
4月5日


少しだけ勇気のいる一歩
2026 年の年頭に思ったこと。 それは 心をリセットして再び挑め、そして変わらない私の人生訓「悠々として急げ」をモットーに進め、ということでした。 (双頭) Tone Momentum(alto sax × piano DUO) では、アンサンブルの源となる“呼吸”についての新たな気づきがあり、ますます進化していくであろう、光のようなものをキャッチすることができました。 たった 2 人で 6 年間定期的に続けてきた、れっきとした DUO ユニットです。相棒・津上研太さんの存在は本当に大きく、来月で 7 年目を迎えます。 また The DREI(piano trio) は、私にとってある意味での挑戦でもあります。 住み慣れた(心の)環境から一歩踏み出し、メンバーの力を借りて、「私はなぜ音楽を始めたのか?」という原点へ、喜びとともに帰っていくような感覚があります。 bassist 高橋将さん、 drummer 白石美徳さん、その感性に出会えたことを心から嬉しく思います。 そして、これらのユニットでオリジナルレパートリーがほとんど重ならないこともあり
yoko kobayashi
3月21日


呼吸の再接続
2022 年末、10年という時間をかけてジストニア (dystonia) は確かに完治しました。 それでも、楽器との間にある違和感のようなものに向き合い、試行錯誤の結果、椅子の高さを 40cm まで下げ、一言で言えばピアノとの一体感を感じられるようになりました。 それでもほんの少し、以前とは違う感覚、ピアノを前にした時の心持ちが以前と微妙に違うことは分かっていました。 違うと言っても、以前ピアノを前にしたときの心情がどんなだったのか、もう思い出せません。ただ、確かに「何か」が違うことだけは分かります。 ここ何年もプレイバックを聴き続け、以前にはあり得なかったことが起こっていて、何が原因なのか考えたり、カウンセリングを受けたり、音大の講師をしている友人のピアニストに相談したりしていました。 筋肉と脳の関係などにも注目して、体幹を鍛える運動を心がけるべきかなど、、、 でも不思議なことに、皆同じ答えが返ってきました。 ジストニアを経験すると 動きを細かく監視する癖、崩れを恐れる微緊張 が無意識に残るのだそうだ。 さてここから山場という時は特に 「失敗し
yoko kobayashi
2月23日


単線の途中で
茅ヶ崎駅から相模線に乗る。 この電車は単線の 4 両編成で、ボタンを押してドアを開け閉めする、何ともアニメに登場しそうな雰囲気がある。 最初は、「単線」という言葉の意味が分からず、同じくホームに立つ優しそうな女性に聞いたことがあったっけ。 要するに、線路が一本しかなく、駅と駅の途中で電車が鉢合うことはないらしい。 だからかどうかは分からないけれど、時間帯によっては電車は 1 時間に 2 本しか来ないようだ。 少し緊張してドア横のボタンを押す。これがほんとにドアが開く。 乗ったら内側のボタンを押してドアを閉める。 なるほど、寒い日は暖房で温かくなった車内の温度は下がらず、暑い日は冷房で冷えた車内の温度が上がらない。 相模線初体験の時は、少々ハラハラしたものだった。 車窓から見る景色は、昔懐かしいのどかさのオンパレード。 子供の頃の様々なシーンが、シャッターを切るように現れては消えた。 小学生の時、ぶら下がり移動をしていて手すりから手が離れ、胸から地面に落ち、呼吸ができなくなり「おかぁさ~ん、助けて~!」と心で叫んだ後、意識をなくしたこと。...
yoko kobayashi
1月28日


夢の続き
毎日、時間が過ぎるのが驚くほど速い。 とても充実した日々を送っているのに、その感覚はどこか現実離れしていて、まるで夢の中をずっと歩き続けているようだ。 今年に入ってから、本来の意味での「眠り」を取り戻した。 それどころか、深夜1時に眠り、目を覚ましたら昼間の 12 時 15 分だった日には、自分でも少し驚いた。 やりたいことは山ほどあるのに、家事だけで一日に数時間が過ぎていく。 何か対策を考えなければ、と思いながら、世の中で仕事を持つ奥さまたちは一体どうしているのだろうと考える。 きっと私などより、ずっと睡眠時間は少ないのだろう。 それでも今、生きていて、大好きな音楽を奏で、創り、それに付随するさまざまな作業をしている時間は、どれも楽しい。 この環境や状況が決して当たり前ではないことは十分承知している。 ゆらゆらと夢の中を歩き始めて、もうすぐ 8 年が経とうとしている。 時間はあまりにも速く流れていく。 難病や大病からも解放され(大病に関しては年中行事のように検査は続いているけれど)、 よく眠り、三食をきちんと摂れている。 それだけで、今の自分が
yoko kobayashi
1月11日


多田誠司さんのこと
多田さんご自身の FACEBOOK の投稿で目にした、江戸川でベンチに腰掛け、足を組み、アルトサックスを吹くその姿は、 37 年前と何ひとつ変わっていませんでした。 記憶を辿る。 恐らく広島県福山市にあったライブハウスにて、リハーサルを始める少し前のことだったと思います。 椅子に座り右足を組んで、右斜めに楽器を持って confirmation を吹く同じフォルムの彼を、 37 年前にも見ています。 多田さんを正面から見る位置にいた私は、彼の後ろの上方の窓から陽の光が差していたのを覚えています。ほんとにパーカーが大好きな人でした。 江戸川のベンチに座って吹く姿、何にも変わっていない。 やはり多田誠司さんだって思いました。 37 年前、音楽への思いを手放せず、すべてを置いて上京された多田さん、 私が演奏していたライブハウスにふらりと現れたのが、最初の出会いでした。 人の才能を見抜くことだけは得意な私は、一年半〜2年ほど共演させていただいただろうか。 当時スタンダードをとても丁寧に歌い上げるさがゆきさんの歌声が好きで、ゆきさんも voice にお迎えし
yoko kobayashi
2025年12月25日


誰も知らない橋の上の午後
「誰も知らない、橋の上の午後」 Haut Pont et Pierre Blanche 青い空がどこまでも続いていた。 橋さんは今日も、日向の匂い、風に軋む音、 自分の影がゆっくり伸びていくのを感じていた。 今日こそは川の中の白く光る石さんに話しかけたいと思った。 橋さん「毎日ここから、空と川を眺めているんだよ。 風は少し冷たいけれど、光はあたたかいよ。 君は、ずっとそこにいるの?」 石さん「うん、ボクは動けないから仕方ないんだ。川の水はきれいだけれど、少し冷たいよ。 太陽は、水の上で揺れているだけなんだよ。一度でいいから、直接陽の光に触れてみたいな」 石さんは橋さんを羨ましく思った。 「君には君の場所があるんだね。 でも、ちょっとだけそこまで行けたらいいのに。」 橋さんは、いつも人を通してきた。でも、立ち止まってくれる人はいなかった。 渡られるたび、橋さんの上には何も残らなかった。 「ここは誰かの途中で、終わりではないんだ。」 橋さんは、自分を作ってくれた木こりのお爺さんに、あの白い石さんにも陽の光を、冷たくならない午後を感じてもらいたい、石さ
yoko kobayashi
2025年12月20日


jazz tokyo LAL小野健彦氏のライブレポご紹介
【私の2025live.vol.60】 横浜日の出町JAZZ FIRSTにて、THE DREIを聴いた。小林洋子(P)高橋将(EB)白石美徳(DS) 洋子さん曰く、エレベを念頭に書いた曲がある程度貯まり意中のベーシストを探していた所高橋さんと運命的な出逢いを果たし協働の途について以降何代かのドラマーを経ながら白石さんに交替して2度目の現場となったのが今宵とのことだった。 まあ、それはそうとして、洋子さんが志向したサウンドの肝を握るエレベの高橋さんしかり、前任の秋元修氏からスイッチした白石さんしかり、共に新進気鋭の表現者を招集したユニットだけに、編成だけを見れば、ピアノ×ベース×ドラムスという所謂ジャズの世界では定番のピアノトリオでありながらも紋切り型のそれには決して収まりきらないであろうことは重々予想した中での幕開けの時。 今宵披露されたのは、アンコールも含め新旧に亘る(中には高橋白石両名が生まれる前!に書き下ろされた作品も)オール洋子さんオリジナルソングブック11編の数々。中に1曲高橋さんに捧げられ彼をフューチャーした躍動感溢るる〈it's s
yoko kobayashi
2025年12月20日


ひらがなのような
2025 年は心の底がゆっくりと波立つようなことから始まり、 結果その波はだんだんと高くなり、どうも目まぐるしく終わりそうだ。 特に心の中が目まぐるしい。 今年の後半は特に、現実の輪郭がすこし曖昧になるような感覚がずっと続いていた。 病院のベッドで寝たきりの母にも会うこともできた。 おそらく会えるのはこれが最後かと、目を閉じたままの母の顔をしっかりと心に刻んだ。 そして私に「うん。」と一言だけ返ってきたその消え入りそうな声も銘記する。 自分の声が遠くで響いているような時間だった。 自己のユニットでは、自分自身がリーダーであるべき姿とは程遠いことに悩まされ、 決断したことに対する責任を持つことを少しは学んだような気がしている。 さぁ心機一転、これで新しく前に進めると思った矢先、 10 月頭に届いた知らせは、胸のどこかを静かにひりつかせ続けていた。 ふと気づくと毎日涙しているではないか。泣いたところで何かが変わるわけではない。 表向きはいつもと同じなのに、自分だけ別の速度で生きているような感覚だ。 大変なのは私ではないのに情けない限り。...
yoko kobayashi
2025年12月4日


あばよTEAM TUCKS
これは TEAM TUCkS の音楽を結成当初から最後まで聴いて下さった伊藤邦明氏の投稿文です。 許可を得て記させていただきます。 初代 drummer 角田健氏に感謝の気持ちも込めて ………….. 【5年ポッキリ!あばよTEAM TUCKS🎶】 11 月 6 日、本八幡 cooljojo で小林洋子率いる「 TEAM TUCKS 」のラストライブ・レコーディングで残り少ない多田誠司の激演プレイに浸る。 私にとって、 7 月にドラマーが吉岡大輔に変更後始めて聴く「 TEAM TUCKS 」であり、しかも、僅か 3 度目のセッションでのライブ録音という状況。それにもかかわらず、加藤真一の安心安定のベースランニングと共に"サックス殺し"と言われる小林のオリジナルを全員で見事に仕立て上げる素晴らしいメンバーたち流石の力量 cooljojo での初演からジャスト5年間の活動を経て、6年目を迎えられない事態に寂しさを覚えると共に何らかの運命を感じてしまう。当時の cooljojo の HP には、 「 2020.11.7 " TEAM TU
yoko kobayashi
2025年11月13日


始まりと終わり
2025年は私にとって良いことも悪いことも「冷静に受け止めなさい」と、どこからともなく叱咤激励されているように感じる不思議な年でした。 でした、と言ってもまだ2ヶ月半ほどありますが、、、 物事には必ず始めと終わりがあり、 新しい挑戦の始まりもあれば、それに伴う別の何かの終わりまで、 でも終わりは次の始まりへの準備期間であり、悲観的なものではなく、皆にとっても新たなスタートを意味することだと思いたい。 後日また大事なご報告をすることもあるかと思いますが、まずはこの先〜11月までのスケジュールをお知らせさせて下さい。 ほぼ、私と共演者のオリジナル曲で繰り広げられる、それぞれの個性もユニットとしての個性もより顕著に表れるであろう、私にとっては、まるで秋の深まりを心臓バクバクしながら感じ取るかのような時となっています。 また来年2026年への架け橋でもあり、多くのことを経験できた2025年への謝意でもあるような気がしています。 ライブは変わらず私に合ったペースで少ないですが、体調を整え力をつけて向かいたいと思います。 どちらかで皆さまにお会いできますよう
yoko kobayashi
2025年10月18日


新参者Black Sabbath
秋の訪れを喜んでいるのか、今朝は窓を開けると野鳥が鳴いている。どこから聞こえてくるのか、しばしば下方で通りを走る車の音でかき消されるも結構長いこと鳴いているようだ。 近頃通りでよく見かけるハクセキレイだろうか、風も爽やか、うんうん、気持ちいいよね。...
yoko kobayashi
2025年10月2日


向かう空洞
努力を続ける人は、それだけでも志を成し遂げているんですよと、ある文豪(お名前は今ド忘れ)の言葉にあったような気がするけれど、エジソンが言うように、 1 %のひらめきがなければ、どんなに 99 %努力しても、その努力は無駄になる。...
yoko kobayashi
2025年8月27日


LIVE REPORTご紹介
昨日の古和靖章(G)小林洋子(P)@本八幡cooljojoにご来場下さったjazz tokyo LALの記事を担当されている小野健彦氏のライブレポをご紹介させていただきます。 【私の2025live.vol.37】 久方振りの訪問が叶った本八幡cool...
yoko kobayashi
2025年8月24日


今が奇跡
昨日は新しく drummer 吉岡大輔さんをお迎えした TEAM TUCKS の第一回目のライブでした。 リーダーの至らなさにより、結成以来こんなに空いたことは初めてでしたが、またこうやって再始動できたことを嬉しく思います。 drummer...
yoko kobayashi
2025年7月25日


ピアノの椅子のお話
以前に何度か blog に記したかと思うけれど、今頃になって自分にぴったりのピアノの椅子の高さに落ち着くってなんか可笑しい。 大の大人が、椅子の高低如きでキャッキャしているのが面白い。 子供の頃の、アイス買って当たり棒だった時のような喜び様。(当たり棒の確率は 2...
yoko kobayashi
2025年7月15日


真っ新な不思議な感覚
こんな感覚って誰もが経験することなのだろうか。 ピアノの椅子が低くなり、ピアノと再び一体感を感じれるようになり、あぁそう言えば遠い昔にはこんな感覚だったなぁと追憶の日々。 決して昔は椅子が低かった訳ではない。 ごく普通だったはずだ。...
yoko kobayashi
2025年6月27日
bottom of page