向かう空洞
- yoko kobayashi
- 2 日前
- 読了時間: 4分
努力を続ける人は、それだけでも志を成し遂げているんですよと、ある文豪(お名前は今ド忘れ)の言葉にあったような気がするけれど、エジソンが言うように、1%のひらめきがなければ、どんなに99%努力しても、その努力は無駄になる。
世の中には「報われない努力」というものもある。がんばっている時にこの言葉が頭を過ると果たしてこんなんでいいのだろうかと疑問も湧いてくる。
世の中には「必ずしも結果が全てではない、努力のプロセス自体にも価値がある」などという言葉もあるが、渦中にあっては中々そんなことは言ってられない。どうしても「報われない努力」の文字が頭に浮かび不安になる。
過去10年間の治療・リハビリ期間を思う。75%治癒から完治までの間には、リハビリの中にもこの1%のひらめきがとても重要だったと振り返る。
渦中にあると、ひらめきどころではなく、何とかこの状態から脱したいという気持ちばかりが先立って、がむしゃらになるか奈落の底まで落ち込むかのどちらかだ。
そんな私にも神様は1%のひらめき光線を送ってくれた。もう見ていられなかったんだろう。
完治が現実のものになった2022年は喜びもひとしおだった。もうこのblogにも何度も記しているけれど、リハビリではなく練習ができるようになり、素直にピアノに向き合えるようになった。
ピアノの椅子の高さの新たな発見があったり、ピアノとの一体感を感じられるようになった2025年、今の状態は喜びというより、呆気に取られていると言った方が近いと思う。
そう、その呆気に取られている中、一つ一つのLIVEは大事に大事に進められていって、偶には自分の不甲斐なさに落ち込んだり、大好きなミュージシャン達と音楽し楽しく過ごせて、オーディエンスの方々にも喜んでもらってそんな様子を見ては胸がいっぱいになり、そんな近頃の出来事にも呆気に取られている。
起こっている奇跡に、生きていること自体が恐怖に感じていたここ数ヶ月、どうやらその恐怖からは少し抜け出せたようにも思う。
ふと思う。
あの難病は一体何だったんだろう?
やっと普通の状態を取り戻した昨今、
これからは本当に必要なこと以外は捨てていこうと思う。
生き方に色彩豊かな視点を持って進化していきたい。
技術的なこと表面的なことより、自分自身から湧き出るものに勝るものはないのだから。
視点と言えば、2023年に「Kinkfisher’s Perspective」(カワセミの視点)という曲を書いた。The DREIで演っている曲だ。
鳥さんはかしこい。そう思う。
あんな小さな身体に夢のような空洞を持っている(と私は感じているのだけれど)
その空洞は、小さくトントンとノックしたら小さく響いて、
大きくトントントーンとノックしたら大きく響く、、、
周りの音楽家にもそんな方がいます。大きな家の土台となる部分をしっかり固め、そしてそれが基盤にあって個性豊かな家を建てている、或いは建設中なんだけれども、その家は広さ・奥行きもさることながら天井も高く、出来上がってしまうと個性も強過ぎてガチガチに固まってしまいそうだけれど、ところがそこには何びとも何事も受け入れられる大きな空洞を持ち合わせている。
凄いなって思う。
私もこれからは本当に必要なもの以外は捨てていって、こんな素敵な空洞を作りたいと思うようになった。
……….
追記
HPを整理していたら、このblogは私が復帰する2年前2016年より書いていたようです。
身の周りのものとパソコンだけを持って東京を離れたので、ふと時間がある時にどうやって時間をやり過ごしたら良いのかも分からず、パソコンと向かい合わせになるしか術がなくblogを書き始めたように思います。
改めて見てみると、あの頃の心の中に点在していた粉々に砕かれた鉛のようなものも、完全ではないにしても難病と共にどこかへ行ってしまったような気がします。
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