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執筆者の写真yoko kobayashi

生きる

谷川俊太郎さんの「生きる」


いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみすること

あなたと手をつなぐこと …..


これは「生きる」の最初の部分だけれど、

こんなにもシンプルな言葉が、何故こんなにしみじみとさせるのか、今やっと分かるような気がしている。


最近私はよく空を見るようになった。

子供の頃はもちろん、大人になっても若い頃はあまり空を見上げるなんて無かったと思う。

夜空に光る星を何気に見るくらいはあったかもしれないけれど。


空をよく見るようになったのは、歳を取った証拠だよ!と言われるけれど、ほんと、そうなのだろう。


若い頃、何でこんな素敵な雲と青空(と時には鳥も)のエンターテイメントを見過ごしてきたんだろうって少々後悔もしている。


そして、こんな素敵なショーを見ていても、頭の中は音楽のことでいっぱいなんだけれど、

こんなんでいいのか、こんな風に生きていいのかってつくづく思う。


つくづく思ってもどうにもならないから仕方がない。


他の人はどうなんだろう?

なんて考えても、私は私で変わらないから考えても仕方がない。


のどがかわいても

木もれ陽がまぶしくても

くしゃみをしても


ずーっと考えていることは同じで…..


まぁ毎日楽しいんだからこれも仕方がない。

いつまでこんなのが続くか分からないんだから、今を謳歌するとしよう。


そしてやっと今月はTone Momentumのレコーディングだ。

ピアノはBösendorfer Imperial だそうだ。


私は、学生の頃から何故かSTEINWAY、特にN.Y STEINWAYが苦手で、Bösendorfer とどちらがあたるかで実技試験の結果の差は歴然としていた。未だにそのトラウマから抜け出せないでいる。


もう笑える、当時のあの怖い師も笑うしかなかったほど笑



今回のレコーディングでも、ありがたいことにピアノはBösendorferで、しかもImperialともなると楽器に飲み込まれないようにと思うけれど、楽器を鳴らす、そういうことに関しては唯一の得意分野だ。


難しいのは、私にとっては挑戦でもあるサックスとピアノのDUOということ。

サックス奏者は津上研太さんな訳で、普通にやってても太刀打ちできないのですよ。

私なりの工夫が必要な訳で。

単純に「あぁジャズの人が2人(DUO)で演奏してるね」みたいなことにはしたくない。



どんな風に仕上がるのかとても楽しみだし、程よい緊張もある。


これに向けて私自身がやってきたことは、ある意味コンフォートゾーンを抜け出せた気がしている。

(N.Y STEINWAYのトラウマからは抜け出せないままだけど)


器用ではない私にとっては驚くほどの進歩だと思う。津上研太さんの曲にしても私自身の曲にしても、あぁこういう解釈もあるなって気づくことも多かった。


まだまだアンテナ張れてるなって頼もしくもなった。


生きているということ

それはのどがかわくということ

木もれ陽がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをするということ

あなたと手を繋ぐこと、、、



歳を重ねるということは

心とも身体とも闘いなのだけれど、

今を楽しく生きていられるのは、

心身ともに健やかでいられるから。


母に感謝















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