いとおかし
- yoko kobayashi
- 3 分前
- 読了時間: 8分
玉ねぎと生ハムのマリネ、明太子とクリームチーズのディップを作る。
作る?って言っても材料切って一緒にするだけだけどw
うち飲みワインの美味しいおつまみだ。
ディップは好みのクラッカーにのせる。
このお気に入りを味わうのはもしかしたら20 年ぶりくらいかもしれないとふと想う。
こんなもの作るなんて、よっぽど気持ちも清々しく日々楽しく過ごせているんだろな。
悩みがあったとしても、そんなことは地球上のあらゆる出来事からしたら比べ物にならないくらいちっぽけな訳で、恥ずかしくなる前にどこかに全部捨てた。
音楽に関して考えることは、何とも味わい深く楽しいことでもある。
まぁ長いことピアノって楽器と向き合っているけれど、今だに発見があって、とても厄介な君だけど、なかなか手応えのあるおもしろい奴だよ。
今も尚、未知のことがたくさんあるんだろうなと思うと、明日また向き合うことを想像するだけでもワクワクする。
個性を無くした名無しさんみたいな時期も含むリハビリ期間丸10年を抜けて2年と数ヶ月が経つけれど、いろんなことを考えられるようになった。
もっともリハビリ期間中こそ、それまでに考えもしなかったことを試行錯誤しなければならなかったことが、今のピアノへの向き合い方に繋がっているんだろうけど。
さまざまジャンルの音楽に興味を持ち、ああしたいこうしたいと多くの難問に取り組む前に、はるかに重要で本質的な、ピアノを弾く際に用いる身体の部位の使い方を知ることがやはり大切だと痛感している。
(学生時代には、「ピアノを弾く際に使う筋肉は鍛えるんじゃなくて、うまく調整し調和をはかるように」なんて言われたけれど、要するにコーディネートだよな。なんとなく頭で言葉だけを理解していていただけで、それでは何の意味もなさない)
技術的問題は致し方ないとして、何となくきてしまった感がある。
もちろん人によって手の大きさや腕の長さ、身体の大きさも違うし、オクターブしかとどかない私なりの工夫くらいはしてきたし、力ではなく重力や腕の重みをうまく利用するなど、普通にその程度の奏法は考えてきたつもりだ。
そう言えば、サラ・ボーンがピアノの椅子に座って、ちょっと指を鍵盤に乗っけてみました、みたいな瞬間の映像を垣間見たとき、ピアノはビヨよぉ〜んっと鳴り響き、ヒュー!やっぱり体格良く、腕も長く太いとこんなにピアノって鳴るの⁈って面食らったことがあった。
そこで思い立って体重増量作戦に出るも10日で撃沈し、体重を無理に増やそうとすると、私は集中力欠如状態に陥ることを思い知る。
やはり何事も自分に合っているやり方かどうかを見きわめる必要がある。
何事に対しても「私にも出来る」と思い込み、むやみやたらは禁物だ。
子供の頃は曲げた指で指先で鍵盤をタッチするように教わり、音大時代は伸ばした指で指の腹でタッチする奏法を取り入れた。この場合には第3関節はもとより、第一関節への意識が大切だけれど、
確かにこの奏法は、ショパンのレジエロや特にバラードの4番などは、この手のポジションそのままでできているんじゃないかと思えるほどだ。
しかしながら、私はジャズにこの奏法は適さないと判断し、大学を卒業してからは前者でジャズピアノに取り組んだ。
ジャズ=8分音符命、みたいな時期から、今ではもう少し広い視野で自分のやりたい音楽を見つめることができているので、場面場面によって両方を使い分けできるようになった。
そして今頃になって、筋肉や関節、呼吸、(私が嘗て支障をきたした)神経回路、それらが最良の状態であるには、その最良の使い方を知っておかなければならないという常識に気付くこととなり、正に今向き合い直している。
今まで、例えば車を運転する時、その車が何の問題もなく機能しているのであれば、おそらく私はそのメカニズムについて多くを知ろうとしなかったと思う。
だけれど、そのメカニズムが調子が悪かったりする場合には、ある程度の知識があった方が良いに決まっている。
私は今まで整形外科的なことで演奏する上で支障をきたしたことは一度もない。まず腱鞘炎にもなったこともなく、たとえ指や腕を怪我したとしても、ピアノを弾くこと、演奏することには何の問題もなかった。
18歳~32,33歳位まで手首に水が溜まり定期的にぶっとい注射器でその水を抜かれていたけれど、案の定演奏には何の問題もなかった。ただ手首にある出っ張っている丸い骨が二つあるように見えてコスメ的に支障がありw、演奏時はその二つの丸い山は客席からは見事に重なり助かったけれど、電車の吊り皮は比較的軽症の左手で持つようにしていたw
左足首がゾウさんみたいに腫れ上がる酷い捻挫はしたことはあるが(とりあえずサスティンペダルだけは右足で踏めたし)突き指も一度もない。
なので、調子に乗ってたんだろな。何も考えずに来てしまったんだと思う。
この2年の間に、奏法等で考える時間も出来て、試行錯誤しながらピアノの椅子を少しずつ低くしていった。その結果かなり低くなったのだけれど、それが私にはぴったりで、どうぴったりなのか?ピアノとのフィット感が断然違う。
何で今頃そうなったんだろ。可笑しくてしかたがない。
子供の頃の教えでは、こんなに低いのは良くないとされる位置だ。私の認識では、鍵盤に手を置いたとき、肘から手首までが鍵盤と平行になっていて、肘の角度はおおよそ90度(もちろん状況によって変化させなければならないけれど)、基本はこれがベストだった。
それが普通だったし何の違和感も問題もないし、そういうものだと思ってずっとやってきた。
でもここ数年のある日、以前はもっとピアノと一体感があったのでは?と疑問を持ち始め、椅子をまずは高くしてみると肘の角度は鈍角になり、ある種の不安定さを感じ、これは違うと感じた。
そして今度は椅子を少しずつ低くしていくと、あ!この感じだ!という位置が見つかったのだ。
膨大な時間をかけて自分にぴったりな枕がやっと見つかった時のような感覚。
その上、椅子が低くなると、ピアノを弾く際に大切な筋肉や関節に意識が行き届きやすいと感じるのはどういうことなのか。
ピアノは小さい頃からレッスンを受ける。
教わることが全て自分に合っているかどうか見出すのは子供には難しい。
そして、大人になって、果たして今の奏法は自分に合っているのか疑問を持ったとしても長年やってきた弾き方を変えるのは勇気のいることでもある。
時を少し戻すと、2010年位からある考えに至り、現代ピアノ奏法をある師の下で学びはじめた。
その奏法の根本は椅子を一番高くし、手の甲から指先に向けて少し外側に開き、ほぼ4の指(薬指)と5の指(小指)に意識を向けて演奏することから始まった。
もう視界からして全く違い、少々面食らったのを覚えている。
でもその時は、これに慣れて自分のものにしてしまえば私の思う表現がこれで出来るようになると確信が持てたのだ。
それから2年後に脳神経疾患の診断を受け、10年の間その疾患と闘うことになったのだけれど、その最初の頃は椅子の高さを元に戻すことはなかった。
何故か?
誤解のないように記しておきたい。私は師の下で奏法を変えようとしたことが疾患の原因だったとは思っていなかったからだ。
もしそうだとしても、自分で決めたことだったし、あの疾患がなければ今の私はいないだろうし、完治後に自分にベストな意外な椅子の高さ(低さ)を発見することもなかっただろう。
現にこの椅子の高さに関しての問題も、何の恐怖も持たず前向きに試している。
要するに、だいぶ回り道をしたかもしれないけれど、幼少期からの全てのピアノに関する経験(自身の判断がその時その時で間違っていたのだとしても)が、今を作り出しているのだと思うと、何ともおもしろいし、間違った判断があったとしても決して後悔はしていない。
10代の生徒たちへの向き合い方も、少しは自信が持てるようになったのも、このようなことが要因としてあるように思う。
ピアノや弦楽器etcは、エレキギターやエレキベース等と比べるとはるかに長い歴史を持つため、奏法に関する文献も多く、それぞれの奏法に長けた音楽家も五万といて、
ピアノに関しては、大作曲家たちそれぞれの奏法の研究がなされている程で、その研究者にしろ文献にしろ膨大な数だ。
ドビュッシーは、パリ音楽院時代バッハの実技試験は良かったけれどベートーベンは苦手としていたなどの逸話もあり、それほど奏法そのものやその人の音楽に対する見解の相違がある。
そういった意味では、ピックを使うエレキギター奏者などには特に頭が下がる。
自分で自分の奏法を見つけていかなければならないからだ。
私の認識不足で、今では奏法に関する参考資料も多くなっているとしても、ピアノの比ではないだろう。
きっとやり始めた頃から、自身で考え、自身で奏法を見出していくんだろうなと今でも思っている。
今頃になってピアノを弾くということに関して、何となくではなくなったこれまでの日々を「いとおかし」そう想ふ。
そしていろんなことが見えつつある今、やっぱり私は、自分の演奏云々より、どうしたら共演者がいかにもっとカッコ良く聴こえるか、そのことを胸に日々楽しく精進したい、それだけしか頭に無くなった。
結果それが私の思うピアノのカッコ良さにも繋がると思っているから。
フ〜、これからが大変だ。
人生はなかなかおもしろい。
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