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今が平気で、今が一番幸せな理由

4 日前
読了時間: 5分

朝起きて窓を開けると、どこからかピピッピピッっと鳥の鳴き声が聞こえてきた。

この瞬間が、何だろう?とても懐かしく感じた。

……................


どんなにか歳を重ねて、たとえ大病を告げられたとしても、今どうしてこんなに心が元気で平気でいられるんだろう。

大病を告げられることは、私の人生において、まだあり得ることだと思っている。

ただ、病気を克服するために、楽器を奏でる機能を失うとしたら話は別だ。

そして、守るべき人がいる場合もそうはいかないだろう。決して平気ではいられない。


私は2度、癌の告知を受けた。前回は、ジストニアですでにピアノを弾く機能をほぼ失っていた。心が麻痺していたせいもあるのか、癌を告知されても、何とも思わなかった。

癌はあり得ることだけど、ピアノを弾く機能を失うなんて、人生においてあり得ないことだった。


その後、心の病も発症し、

「もう、あなたがこの先、生きていくためには音楽をやめるしかないのですよ」と宣告され、同じ宣告でも比べものにならないくらい、比べることすらできない衝撃だった。


おそらく何かに怯え、ある意味、洗脳されていたのかもしれない。友人は今もそう言う。

心の病は、今から思えばその随分前から発症していたんだと思う。


一日の終わりに「あれ?今日は涙出てないや」と思う日は、年に2日くらいしかなかったのを覚えている。涙のはっきりとした理由は今でも分からない。


その後、逃げるように、周りの人たちにも何も言わず、東京を離れた。

何から逃げてるの⁈


不思議なことに涙はピタリと止まった。

音楽を失い、幼い頃から徐々に増えていった膨大な数の楽譜や書物も全て処分し、(取り戻せるかどうかも分からない)ピアノも預かってもらい、お金で買い直せないオリジナルの譜面だけは、捨てたらダメなんだと勘が働いた。ただただ目の前の作業を淡々とする。


当時どんな思いでいたなどとは到底説明もつかないけれど、心のどこかでほんの少しだけ音楽から解放された安堵感のような気持ちも芽生えたことを覚えている。


生きていくために仕事を見つけ、感情というものを無くして生きていく覚悟をし、おそらく泣いてる暇なんかなかったのだろう。音楽以外の職に就くのはもちろん初めてのこと。

そんなこと出来るわけがないと友人は言った。私も昔はそう思っていた。

若い時の、音楽を続けるためのバイトとは訳が違う。


人間、ある場所に放り出されるとやれるものなんだと悟る。


道を歩き、膝からダラリと泣き崩れ、呼吸も苦しくなり、心療内科の緊急用の電話番号にかけたことも数え切れず。


ところが仕事中には決してその症状が出ることはなかった。

ただただ作業を強いられることは、考えることをしないで済むための大きな助けになっていた。


私のように好きなことを仕事にしてきた人間とは違い、そこにいる人たちは、食べていくため、子供を守るため、老いた親を守るためだけに必死で働いていた。いわゆる「訳あり」だった。「訳あり」?いや、もしかしたらこれが普通なのかもしれない。働くって本来そういうものなんだとふと思う。

いや、よっぽど私の方が「訳あり」ではないか。


朝6時に目覚ましをかけ、準備をして出かけ、家に戻るのは早くて21時、遅ければ深夜を回ることもあった。


今思えば、この5年間は、経験というより勉強だったように思う。

音楽の世界に戻ろうとする健康な精神を取り戻してくれた、貴重な時間だった。そして、体力も。

出勤日に休んだこともなければ、遅刻をしたことも一度もなかった。


いじめやパワハラに耐えかねて、新潟の友人の家に逃避行したり、上司に訴えたり。

その結果、仕事中は私の背後にガードマンが二人付くことになり、挙げ句の果てには、私一人のために監視カメラまで設置されるという事態に。

今思えば、なかなかのVIP待遇である(笑)。


最初は気づいてもいなかったいじめやパワハラに気づき、逃避行したり、上司に訴えたり。

そんな行動を自分の意思で起こせるようになったこと自体、精神的に健康を取り戻しつつあった証拠なのだと、後になって思う。


この職場で起こったことを全て言うのはキリがない。まるでマンガみたいなことも現実に起こっていた。


友達とこの話で盛り上がっては今でも大笑いする。

しかしながら、そんな辛い中にあっても、この職場が私のその間の生活を成り立たせてくれただけでなく、実は私の心を正常に戻してくれた場所だったと、感謝もしている。


人生とはおもしろい。


その頃のことを、ほかのことも含めてすべて知っている友人たちの支えがあってこそ、ここまで這い上がってこられた。


皆よく言う。

「ほんと、まるでゾンビみたいに這い上がったよね。」って。


不思議なことに、今では辛い思い出ではなく、微笑ましいオモロい思い出になっていることが、何だかありがたい。


今も音楽をやっていること、音楽に復帰出来たことは奇跡であり常に夢の中を歩いているようなもの。


好きなことを仕事に出来ることの奇跡、今存在することは当たり前の事ではないのも十二分に承知している。


それまでの思いは、現在の心の問題を抱える生徒達と向かい合うための助けにもなっている。



再び音楽ができるようになってからも、ライブにはいろいろな問題が付いてくる。けれど、それをはるかに上回る楽しさがある。


だからかどうかは分からないけれど、今、病気を知らされても、私にとっては蚊に刺された程度のこと。


それに、手術入院を言い訳に、ちょっと音楽する苦しさから逃れられるってこともあるだろうし(笑)


充電期間だと思えば、入院・治療生活も苦ではない。それに食べることより寝ることの方が大好きな私は、入院中はいっぱい眠れるぞーと楽しみにもしている。


まぁ、残るライブが終わったら、寂しくて仕方がないんだろうけど(笑)

皆にもしばらく会えなくなるし(泣)


…………

窓を開けると、どこからかピピッピピッっと鳥の鳴き声が聞こえてきた。

何故懐かしく感じたのか。

再び音楽をやりたいという心の健康を取り戻しつつあったあの頃、よくハクセキレイが「がんばれよ♡」ってエールを届けてくれてたなって、ふと思い出した。



 
 
 

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