ただのひとりごと
- yoko kobayashi
- 8月8日
- 読了時間: 2分
先月は、たった一週間の間に、お三方の、永遠に目を覚ますことのないお顔を拝見した。
こんなことはもちろん生まれて初めてのことで、悲しいとか、やるせないとか、そんな言葉だけでは到底追いつかないまま、ただ自分が今、一体何をしているのかも分からずに動いていたように思う。
悲しくて、やるせなくて。
そして、残された人たちのことを案じる。
きっと皆、同じなのだと思う。
そして8月に入って、めっきり練習に集中できなくなり、心がザワザワしはじめた。
集中できないなんて、2018年に復帰して以来、初めてのことだと思う。
単なる酷暑のせいだといいんだけど。
午前中の時間をどう使うか。
それが、当面の私の課題となっている。
なのに、にっちもさっちもいかないのが現実。
今、この酷暑の中で大変な思いをされている熊本の被災者の方たちのことを考えると、こんなことくらいでグジグジ言っている自分を叱りたくもなる。
そして8月は特に、政治家だけでなく、私たち一人ひとりが、日本は核兵器による戦争被爆を経験した唯一の国であることを忘れてはならないと思う。
先日、広島・平和記念公園の式典に出席された首相と記者との、台本を読み合うような会見など、何の意味があるのだろう。
戦争を経験した方々が、年々少なくなっていく。
それが、単なる過去の出来事として閉じ込められ、多くの人が自分ごととして受け止められなくなっていくようで、怖い。
音楽はいいなぁ。
誰も傷つけることなく、人と人を繋ぐ媒体だ。
そして、自分の「音」について考える。
自分自身の「音」を持つことこそ、音楽における最も根本的なアイデンティティだと思う。
けれど、そこにどう到達するのかというのは、内面から湧き出てくるものであるべきだろうし、きっと長い時間を要するものなんだろう。
それでも、そろそろ自分の「音」を見出せてもいい頃だよな……と思う。
そろそろって、一体いつなんだろう。
周りの、特に共演したことのあるミュージシャンの音が流れてくると、
ピカソの絵を見たら、初めて見る作品だとしても、すぐに「ピカソだ」と分かるように、
「あ、これは誰々の音だ」
と、すぐに分かる。
皆、自分の音を持っている。
凄い。
音楽を続けていく精神力がある限り、この自分の「音」を見出すべく、努力していきたいと思う。
けれど、どうもなかなか、そうさせてはくれない。
人生には、何度かそんな大きな壁が立ちはだかるもののようだ。




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